久しぶりの近況報告(つづきのつづき)


3日連続の記事なんて、あれやこれや時ぐらいではないかな?

・・・という事でまた少しずつ、blogを書いていくと思います。

合唱界はもうすでにコンクールシーズンに入っていますが
今年は「全国コンクールあれやこれや」をやらない予定です。

その代わり、たくさんの合唱団の演奏を聴いて何か書いていければと思っています。
県大会や支部大会は、本当にたくさんの素敵な演奏が聴けます。
去年の九州コンクールで聴いた「合唱団い~すたん(沖縄県)」の演奏は
いまだに忘れられない。
他にも、自分たちの表現を存分に聴かせてる演奏や
技術的にはまだまだ足りなかったかもしれないけれど、
演奏者の心の動きが手に取るようにわかるナイーヴで素敵な演奏。。

県コンクール、支部コンクールを聴くのはおススメです。
聴きに行けば、自分の好きな演奏、好きな団体が必ず見つかると思います。
全国コンクールへ、支部コンクールへ進むことは出来なかったけど
自分だけがその団体の良さを知っている・・・というのって素敵ですよね。


そういうたくさんの合唱を聴く耳が、合唱界を豊かにするのだろうし
自分たちだけの小さな世界(合唱団)にしてしまわない方がいいと思う。
もったいないですよね、せっかく時間をかけてやっているのだから
自信をもって活動していきたいものです。

社会の中における合唱の位置付けが変わらないかな?
と思っています。

今はまだ微妙かもしれませんね。
「合唱はカッコいい」と思う。
世の中のたくさんの楽しみの1つに合唱がある、
という状況になっていきますように。
そのためにも、実際の活動とblogと、大事にしていきたいと思っています。


今週末8/21は広島県合唱コンクールがあります。
どんな演奏が聴けるかな?楽しみにしています!!

(この項おしまい)

久しぶりの近況報告(つづき)


・・・2日連続の記事とは、これまた久しぶりです(苦笑)。
昨日の話の続きとなります。

メンデルスゾーンに取り組んでいて、これは面白い!と思うのは
ロマン派作品は、様々な楽曲解釈ができることでしょうか。
(もちろん基本的には楽譜通りなのですが)
楽譜通りに演奏すればよい、というものでもないというか
アゴーギグが動く余地が存分にあるのが感じられます。
その辺りに、演奏者のセンスがにじみ出てくる…と考えると
夜もおちおち眠れません。。。+_+

また、1回コンクールで取り組んだからといって、
そこから得られることなんて本当に少ないし、作品が本当に奥深い。
継続して取り組んでこそ、何かが得られるのか?と考えています。
ロマン派作品群の豊かな森を自在に歩くには
まだまだ足りないことだらけですが、夢中になっています。

そういえば、モンテヴェルディに継続して取り組んでいた
15年前ぐらいのことを思い出すと
なーーんにも判らないまま練習・演奏していたなぁと反省しきりです。
でもあの時も夢中で練習していました。
何も知らなかったからこそ、ひょっとして今よりもひたむきだったかもしれない。

今の自分はどうなんだろう。
あの頃のように
怖いもの知らずで突っ走っていた純粋さではないけれど
今の自分に見える風景の中で、自分を賭けて取り組めているのは幸せです。
それは、ともに駆け抜けてくれる、とても頼もしい仲間たちがいてこそです。

(つづく)

久しぶりの近況報告


最近全く書いていませんでした、ご無沙汰しています。

ネタが無い、というわけではないです。ネタはイッパイあると思う。
ただ、文字化するという作業はやはり手間がかかるので、
そこまでの欲求は無かった、という事でしょうか。

まず合唱団の近況から。
主宰している合唱団、Chorsal《コールサル》では現在、合唱コンクール用に
モンテヴェルディとロマン派作品(メンデルスゾーン)に取り組んでいます。

合唱団創立2年目から4,5年連続して、ほぼモンテヴェルディだけに取り組みました。
途中、スポット的に取り組んだ時もあったけど
コンクール曲として取り上げるのは10年以上ぶりでしょうか。

ロマン派作品、これはChorsal・・・というよりわたしが最も苦手としている作品群。
メンデルスゾーンもスポット的に取り組んだことはありましたが
コンクール曲として取り組むのは初めて。
今回は小品2曲を選んでいます。

久しぶりのモンテヴェルディの方は、その当時のメンバーはほとんどいないのですが
ああいったドラマチックな曲をするのに、どこかしら慣れているのかもしれません。
仕上がりはともかく、十分に楽しんで練習が出来ていると思います。

メンデルスゾーンについては、苦難の連続です。
3月に行った6thコンサートでロマン派(ブラームス)に取り組みましたが
その延長線上で取り組んでいるはず。でも底なし沼のように上手くいかない。
それは、ロマン派作品は基礎的な技術が十分に磨き上げられないと
いくら解釈をしようとも音楽として成立しえない、ということだと思います。

シンプルな曲たちのはずなのに、やることが一杯あって時間が足りない。
音がきれいにならない、ハーモニーが合わない、言葉が発音できない・・・etc.
本当に美しい曲だと思います。やっていて幸せなのは間違いない。
ただ、聴いている人が幸せを感じるには、まだまだ努力が必要なようです。

(つづく)

3人の作曲家のそれぞれの想い(その4)


間がずいぶん空いてしまいましたが(汗)、あのコンサートからちょうど1ヶ月経ちました。
かなり前の事だったような気もしますが、ちゃんと書き留めておこう。

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最終ステージで演奏した、松本望さんへの委嘱曲について。
曲名を
「二つの祈りの音楽 ~混声合唱とピアノ連弾のための~」
といいます。

曲が出来上がってきて、松本さんをお招きしての練習での言葉。
宗左近氏の詩を選ぶには、相当の覚悟が必要だったと。
それは、三善先生の交聲詩「海」という名曲の存在があったからだそうです。

まず1曲目「夜ノ祈リ」について。

宗左近氏のペンネームの由来のざっくばらんさと違って(あの話は本当だろうか?)
書かれている詩は、言葉の巨大な塊りが迫ってくる。
まるで、言葉を越えた肉弾のようなものが、読み手を掴んで揺さぶってくるようだ。

松本さんが選ばれた詩も、読むのに一苦労。
それは、漢字&カタカナの詩だったから。
そして詩の内容が、簡単には絶対に説明のつかない人間の矛盾を一瞬で突いてくる。

詩を読んでも、とっさには言葉が出ない。

しかし言葉は我々を逃さない。その矛盾を捉えて読み手に突き付けてくる。

詩を読むのに、本当に苦労しました。
気持ちが折れそうというか。

だが、今回の1曲目はそういう詩に歌が付いてる。。。
強烈な破壊衝動や破滅衝動を、そのまま音にしたような。
歌う時は演奏者自らが修羅となり、まさに修羅の道を駆け抜けていくようだ。


そして2曲目「永遠の光」

この曲は…。
様々な祈りの言葉のモチーフが現われては消えていき、
しかしそれらが大きな環を描きながら1つの大きな祈りへと昇華していく。

わたしは練習録音でしか聴けなかったのだけど
初めて楽譜を音にして全曲を通した時、
合唱団から自然と拍手が沸き起こった。。
それは歌い手自身が、1回目の演奏で自らの歌に感動したという事。
まだ不完全なところだらけなのに、でもそういう仕上がりの次元を越えて
この曲は余りにも素晴らしい…!

この2曲の組曲は、おそらく日本の合唱史に残るであろう作品です。
また、松本さんの代表曲として語られる日も近いはず。

実際にこの組曲の演奏を聞いた人は1000人を超えていませんが、
いつかその音をたくさんの人が耳にする日が来るように
心から願わずにはいられません。

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松本望さんの作曲家としての「凄み」を、存分に感じた初演でした。
この難解なテキストを巨大な構造物として組み上げて
その想いを音に昇華させていく思想と作曲が素晴らしいのは、もう当然で
歌い手、そしておそらくは聴き手の心を一発で掴む。
しかも、聴き手の心を揺さぶるのではなく
それぞれの内面から、
温かな何かが溢れてくるのを止めることができなくなるような作品。。。

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心の中に大きな存在として残る作品に出会えたことに感謝しています。

1ヶ月経っても、3人の作曲家の作品は
わたしの中で絶えることなく、それぞれが光り続けています。

素敵な作品をありがとうございます。


3人の作曲家のそれぞれの想い(その3)


森田さんの曲について、つづきです。

昨日blogを書いていて、とても不思議な感覚でした。
また同じような事を書いてしまいますが。。

森田さんの音楽は
音そのものがこちらに強く主張してくる事はなくて
(明快な3和音とか、曲の中にあっただろうか??)
むしろその音楽からは、美しくてせつない音、そして「はかなさ」を感じます。

でも、その音楽の魅力は強烈なのです。
はかなさがこんなに溢れているのに、音楽から生命力はしっかりと感じる。
一度その音楽を目の当りにしたら目を離せなくなってしまう。

そしてわたしは、音楽の中に強さと誇りを感じます。
それは孤高であることの誇り、というものかな?
他者に依存していないという強さ、というものだろうか。


全部言葉を並べると、とっても不思議。

美しくて、せつなくて、はかなくて、生命力があって、強烈で、誇りがあって、孤高。

こんなにたくさんの、一見相反するような言葉が
絶妙なバランスで成り立っている音楽に、わたしは思える。
そのエッセンスを束ねるものは、Jazzのリズムが作り出すエネルギーなのだろうか?


時間が経つと、感じる事もまた変わってくると思います。
また演奏する機会をぜひ持ちたい作品です。
とても楽しみにしています。

(つづく)

3人の作曲家のそれぞれの想い(その2)


5月8日(日)に東京の第一生命ホールで行われた
CANTUS ANIMAE20th.コンサートで3人の作曲家の作品が委嘱初演されました。
その演奏会にオンステした感想を書いています。

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第2ステージ。
一昨年の合唱コンクールの課題曲となった「青い小径」の第1曲「鐘」。
その作曲家である森田花央里さんの新作「石像の歌」は、組曲ではなくピースの作品でした。

最初の試演時から、音楽のゆらぎと切なさと美しさが際立っていて
また森田さんの弾くピアノが驚くほど雄弁で、
(わたしは練習録音でしか聴けていないのですが
 録音とか関係なく、その音の雄弁さに惹き込まれてしまった…!)
作曲家の想いが音に乗って溢れる瞬間を体感する事が出来ました。

森田さんによれば「なかなか書けなかった」ということらしいのですが
音の1音1音の立ち姿は雄弁なのに歌い手に見せつけてこないというか
自分の外にある音からではなく、歌い手の内面から何かしら込み上げてくる。
美しくて切ない音が、そこにそのまま佇んでいる…という感覚なのです。

豊かに鳴り響いていても、音は陽炎のようにはかなく消えゆき。

森田さんの言葉を借りれば「この世はかなしい」というものが
音楽の根底に流れているのだと感じられます。

不思議なのは、なぜかその「かなしさ」を見ずにはいられないというか
見てしまうと視線をそこから離すことができない・・・。
それはやはり
「うつくしきものは なべてはかなし」
という事なのだろうと思うのです。

本番で1度歌っただけの作品だから、まだ多くを語る事はできませんが
美しくも哀しいこの曲は、まだまだ多くの魅力を秘めていると感じます。
あの音の中にたくさんの煌めきや輝きがあって、
その向こう側で静かにかなしみが佇んでいるのだとしたら
やはりその音の向こう側を見てみたいと思う。

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「石像の歌」の初演の前に、「青い小径」全曲を演奏しました。
こちらも森田さんのピアノとともに。

あの組曲4曲の美しさは確かに存在していて
でもその魅力に自分がどれだけ心惹かれたとしても
きっとその核心に触れることはできない。
心を重ねつつ、しかし心を重ねることは出来ないのだと。

そして何ら誇示するところは無い曲なのだけど
その存在自体が、誇り高き音楽だと思いました。
いつか、きっとまた。。。

(つづく)

3人の作曲家のそれぞれの想い(その1)


まだ10日ぐらいしか経ってないわけですが、ずいぶん前の事のようにも感じます。

GW最終日の5/8はCANTUS ANIAME 20th.コンサートに出演しました。

そもそも、遠隔地団員の身分でオンステするのは非常にハードルが高いのですが
今回も例外なく難曲揃いのコンサート、半泣きの状態で孤独な練習をしていました。
上京してから自主練習などでメンバーの皆様に救っていただいた感じ。
本当にありがとうございました。

今回の20thは、3人の作曲家の新作が並びました。
歌い手として、どの作品も思い入れをたっぷり持つことができた幸せ。
新しい音楽が生まれる瞬間に立ち会うというのは、そうそうある機会ではありません。
しかも3つも!!

まず第1ステージ。
安藤寛子さんの新曲「智恵子への手紙」は、
高村光太郎「智恵子抄」で知られる、高村智恵子の手紙を基に作られた作品。
作曲家の「生きるという事は?」という問いかけが、智恵子自身の手紙を通して語られます。
詩ではなく手紙を題材としたことで、言葉を伝えるために朗読部分もあったり
ステージの空間全体を使って表現していく
シアターピース的な合唱作品に仕上がっています。

個人的には、楽譜を見ても??で、練習音源を聴いた時点でも??だったのですが
(すみません-_-;;)
わたしが全体練習に参加して全体の音が鳴り、作曲家の強烈な想いを聞き
歌い込んでいく中で、わたしは心惹かれて大好きになりました。
1つ1つの音が哀しくて悲しくて…、音空間の中に安藤さんの想いが痛いほど充満している。
生きるという事はつらく哀しい。
そんな苦難の中でも、
智恵子は間違いなくこれ以上ないほど懸命に生き抜いた。
わたしはこの曲から、それを知りました。

(つづく)

第70回九州合唱コンクールの感想(その13・ラスト)


昨年の九州コンクールでの、合唱団「い~すたん」の感想、4回目でラストです!

8.合唱団「い~すたん」(混声・20)
(G1 / 千原英喜 「おらしょ」 より Ⅱ〈第2楽章〉)


続きです。

高度な表現力と、何よりも自発的な祈りの歌を作り上げていく「い~すたん」。
いよいよ演奏は佳境、中間部のテンポが上がる部分!

何とここも、スムーズに変化していった!躍動感あふれる音楽。
そして何と、ちゃんとフレーズ最後にritをしたりして。すごいアンサンブル力!!
ところどころ、ハーモニーが歪んだりするところが聴こえるも
音楽的に淀んだり不明瞭になったりすることが全くない!

わたしはこの場所で歌ったことないから判らないのですが、
福岡アクロスは歌い手にとって「ワンワン」に響く場所ではないでしょうか?
そうだとすれば「い~すたん」メンバーは、アイツらは絶対こう歌っているはず!という
強い確信があるところまで歌い込んで、この場所に臨んでいたはず。


彼らの紡ぐ、熱い祈りの歌。

そして祈りを越えた熱狂的なまでの叫びと

その向こう側に流れる哀しみのまなざし。

最後にすべてを包み込む、Kyrie eleison・・・。


何と熱く尊い演奏なのだろうか。
彼ら自身の魂の歌がそこにはあった。

Kyrie eleisonの最後の一音が会場の中に静かに消えてゆき

ホールを静寂が包み込んだ時に

わたしの中には、静かな深い感動が残りました。

非常に音楽的な演奏だった。

そして自分たちの音楽はこれだ!!と彼らは打ち出してきた。

果たして、自分はあそこまでの誇りを持って音楽が出来るだろうか?

そんな事を考えさせられる、合唱団「い~すたん」の演奏でした。


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コンクールの結果。
残念ながら合唱団「い~すたん」は全国大会へ進むことは出来ませんでした。
全国大会へ進んだのは、何と「い~すたん」と同じくパレストリーナとおらしょⅡを選択した
鹿児島県代表の「twinkle☆」
彼らは「い~すたん」とは全く違う、堅実に音楽とハーモニーを積み重ねていくアプローチで
見事な演奏を聴かせたのですが、
この2団体が何と「1点差」で代表権の明暗を分けました。

どの団体が代表になっても、誰かが涙を飲むのがコンクールです。
ただ「1点差」というのは、何とも言葉がありません。


審査発表後、ホールのロビーにへたり込む様に坐っている「い~すたん」メンバーを
わたしは忘れる事が出来ません。

そして、彼らの奏でた熱い2曲の演奏。
わたしは今も忘れる事が出来ません。

渾身の音楽を、ありがとうございました。


そして九州コンクールに出場されたすべての団体の皆さま、
ありがとうございました。
また今年も聴けると良いな。


(おわり)

第70回九州合唱コンクールの感想(その12)


GWが明けて少し空いてしまいましたが、
合唱団「い~すたん」の去年の九州コンクールの感想はここからが佳境!

連載3回目は、ついに「指揮者無し」のまま自由曲の演奏へ…!!


8.合唱団「い~すたん」(混声・20)
(G1 / 千原英喜 「おらしょ」 より Ⅱ〈第2楽章〉)


想いの溢れたSuper flumina Babylonisを聴いて、すでに圧倒されていたのですが
いやいや、ここからもホントに指揮者無しなの?と思ってました。
…とか何とか言いながら、誰かが出だしぐらいは振るんでしょ?とか。。

おらしょⅡが始まりました。
指揮無し、女声のアイコンタクトのみで。


冒頭の女声、男声の祈りが

ゆるやかにそして静かに。

そしてその直後のテンポが切り替わるところ、
何とこれもアイコンタクトで変化していく!!

tuttiで歌われるO gloriosa Dominaの雄大な流れ、これも見事に切り替えていく!

何という事だろうか。
彼らの歌は、すべてが自発的な祈りとなってステージから流れ出てくる。

例えば、キリスト教のミサの中でキロノミーが振られていたとして
それに合わせて歌う信者はいるのだろうか?
キロノミーの指揮に目安にして、自分の心からの想いを祈るのではないか?
大事なことは「合わせる」ことではない。
心からの祈りを神の前で吐露することではないのか?


・・・という事は、理屈では判りますね。
とはいえ、実際にそれを合唱として成立させるには
どれだけ緻密な練習をしなければならないのか?
自発的な祈りと、合唱音楽として成立させるだけの技術の高度な一致。


わたしが聴いた中で今までで一番ぶったまげたおらしょⅡは、
2006年9月の合唱コンクール東京都大会で聴いたCANTUS ANIMAEの演奏でした。
これも極めつけの自発性に満ちた演奏でしたが、雨森先生がいらっしゃる演奏だった。
自由に揺らぎながらも「扇のかなめ」はあった。


合唱団「い~すたん」の演奏は、その「扇のかなめ」無しでの演奏でした。
彼ら自身の自発的な意志が集まって、「かなめ」を作り出していた。
もしこの曲の演奏に「かなめ」があるのだとしたら、
尊い祈りそのものなのではないのか?
それは「神」という存在なのではないのか…?


(つづく)

第70回九州合唱コンクールの感想(その11)


必ず近日中にコンプリートさせます!
という事で続きです。前の記事、まだ「い~すたん」はステージ入場しただけ。
一声も出していません(笑)。

8.合唱団「い~すたん」(混声・20)
(G1 / 千原英喜 「おらしょ」 より Ⅱ〈第2楽章〉)


課題曲、パレストリーナのSuper flumina Babylonis。
ベースの冒頭は少しだけ乱れるも、軽やかなテンポ感と軽くしなるようなフレーズ感。。

その後に登場するアルトが、ベースのフレーズと静かに絡んでいく。
あくまでも豊かに、そしてしなやかに。。

ソプラノがテーマを歌い曲は3声に。
ここまでの3声のバランスとフレーズの絡み方、そしてテンポ感、躍動感が、
これから起こるであろう哀しみのドラマを強く予感させる…!

ここまでの短い10小節ぐらいの間に
「い~すたん」は、何と多くのドラマを作り出したのだろう!
もうここまでの時点で、すでにこの演奏の素晴らしさに打ちのめされていました。。

あとは、大河のようにゆるやかに流れるハーモニーの哀しみを
わたしはひたすら感じ続けました。
彼らの演奏のすてきなところは、ちゃんと聴き手の耳を惹きつけるポイントを押さえている事。
そのままパーッと歌っちゃいそうな場所でも、
彼らはしっかりとフレーズに磨きをかけていて、
一つとして同じ雰囲気を作っていなかった。
illic sedimusの部分など、同じ言葉の繰り返しは接待に飽きさせない!
これは驚異的なことだと思います。

そして「い~すたん」は、4声どれも美しいのです。
アルトの豊かさ、テノールの知的さ、それを支えるベースの広やかさ、
そして美しく天の声を奏でるソプラノ、と役者が揃っていて
とくに内声の充実度が演奏の説得力を生みだしている。

1つのフレーズの向こう側からスッと浮かび上がってくるポリフォニーのあや、
これを見事にやってのけていた。
去年の福岡アクロスは、本当に豊かな響きのホールだったのですが
これを見事に掌中に収めていた、という印象でした。
実に美しかった。
ストレッタの音楽的な処理も実に自然な流れの中で行われ、
4声が絡み合いながら、しかし全体が1つのうねりとなっていく。

しかも彼らは、これを指揮者無しでやりとげてしまった・・・!!

個人的には、この演奏は「衝撃」ですらありました。
わたしはいつもこういう演奏がしたい、と思っていたのです。
それを目の前で聴いてしまった。。。


パレストリーナの音の消えた余韻の中で、
わたしはどうしようもない憧れと愛おしさで胸がいっぱいでした。
あの静かな躍動感は素晴らしい・・・!


・・・しかし、まだ課題曲が終わっただけです。
自由曲は千原英喜の「おらしょ」。
本当に指揮者無しで演奏するのかな?
というか、演奏できるのかな・・・???


(つづく)