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久しぶりの近況報告


最近全く書いていませんでした、ご無沙汰しています。

ネタが無い、というわけではないです。ネタはイッパイあると思う。
ただ、文字化するという作業はやはり手間がかかるので、
そこまでの欲求は無かった、という事でしょうか。

まず合唱団の近況から。
主宰している合唱団、Chorsal《コールサル》では現在、合唱コンクール用に
モンテヴェルディとロマン派作品(メンデルスゾーン)に取り組んでいます。

合唱団創立2年目から4,5年連続して、ほぼモンテヴェルディだけに取り組みました。
途中、スポット的に取り組んだ時もあったけど
コンクール曲として取り上げるのは10年以上ぶりでしょうか。

ロマン派作品、これはChorsal・・・というよりわたしが最も苦手としている作品群。
メンデルスゾーンもスポット的に取り組んだことはありましたが
コンクール曲として取り組むのは初めて。
今回は小品2曲を選んでいます。

久しぶりのモンテヴェルディの方は、その当時のメンバーはほとんどいないのですが
ああいったドラマチックな曲をするのに、どこかしら慣れているのかもしれません。
仕上がりはともかく、十分に楽しんで練習が出来ていると思います。

メンデルスゾーンについては、苦難の連続です。
3月に行った6thコンサートでロマン派(ブラームス)に取り組みましたが
その延長線上で取り組んでいるはず。でも底なし沼のように上手くいかない。
それは、ロマン派作品は基礎的な技術が十分に磨き上げられないと
いくら解釈をしようとも音楽として成立しえない、ということだと思います。

シンプルな曲たちのはずなのに、やることが一杯あって時間が足りない。
音がきれいにならない、ハーモニーが合わない、言葉が発音できない・・・etc.
本当に美しい曲だと思います。やっていて幸せなのは間違いない。
ただ、聴いている人が幸せを感じるには、まだまだ努力が必要なようです。

(つづく)

練習の価値


先日、東京での合唱の古巣、大久保混声合唱団にお邪魔してきました。
古巣を離れて早いもので11年ぶり。
一緒に苦楽を共にした仲間たちもまだまだ在籍していて
指揮者の田中先生からは、意味の判らない「可愛がり」を何度か受けて(笑)
そんなムチャ振りも、初見で歌い続けるのも、
練習後の飲み会も本当に楽しい時間でした。
11年の時間を越えて、仲間は仲間であり続ける・・・と実感。
昔の仲間たちに、そして今のメンバーの皆さまに、深く深く感謝です。


その大久保混声へ行く前の時間は、
現在のホームグラウンドであるCANTUS ANIMAEの1日練習。
濃密な、本当に濃密な6時間の練習でした。本当に充実した時間。

練習に行けない時間が長く続くと、ホントに心が折れそうになるのですが
そこを耐えながらじっくり頑張るところに光明が開ける・・・というのは
過去何年か経験しているところなので、今回も頑張る。
といっても、しんどいのは全然変わらないのですが(苦笑)。
一緒に歌うことで、自分がその輪の中に入っている事を改めて実感。
皆さまに心から感謝です。


そしてその翌日は、
自分自身のホームグラウンドであるChorsal《コールサル》の練習。
技術的に足りないところが満載の合唱団、
だから現在は、その欠点そのものにジックリと向き合っています。
良い瞬間が少しずつ定着していくといいな。
そんな挑戦にメンバーみんなが向き合ってくれているのが、本当にうれしい練習です。


そうやって違う3団体をほぼ同時に体験すると
「練習の価値は自分自身が作る」
という事を強く感じます。
自分自身が「音楽したい」と思っているかどうか?
その最初の1歩が、良い音楽をする上での「肝」です。
そこを外すと、技術があっても良い音楽はやっぱりできないですね。

判っていたことだけど、再確認。
「自分が本当にしたいこと」を、誰もがしているのだ、と。

Chorsal《コールサル》6th.コンサートが終わりました


深夜の、久しぶりのblog更新です。

ぼやぼやしている間に、Chorsal《コールサル》6th.コンサートが終了しました。
しばらく前の事ですが、まずは無事に終わってホッとしています。
できた事、というのは当事者からすると本当によく判らなくて
謙遜ではなく、お客様から良かったと言ってもらえたので
たぶん良かったのだろう…という感覚しかないのです。

むしろ課題が、巨大な堆積物となって目の前にある…という感じで
コンサートが終わった達成感というよりも、大きな宿題が来た~という実感。
いずれにせよ、逃げずに次に向かって進んでいきたいと思っています。

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現在のN響の音楽監督であるパーヴォ・ヤルヴィ氏の言葉に
「音楽をRebornさせる」というのがありました。
再構築というよりも、新たに生み出す、という意味で使っています。
確かに、氏の演奏にはハッとさせる発見というか、この曲はこんな側面があるんだ…
と思わせるところが随所に出てきて、非常に面白い。
深い楽譜の読みと洞察力、音楽的知識と人生経験が重なって
それらを作り上げているのでしょう。

わたしは演奏をする時に、こういうスタンスでありたいといつも思っています。
今そこに生まれてきたように感じる演奏、が1つの理想です。
同時に、その曲をここで演奏した意味を納得させられる演奏会にしたいと願っています。

そういう点では、まだまだ遥かに力及ばず。
生のエネルギーに満ちた演奏としたかったという気持ちが強いですが
これを次の宿題にしたいと思っています。

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今回演奏会が出来て良かったと思うのは、
今の自分たちの立ち位置が良く見えたこと。
まだまだ道は遠く険しいですが、行きたいところは見えているので
着実に進んでいきたいと思います。
その先に「7th」があるのだろうと。

という事で、街中から離れた会場にわざわざ足をお運びくださった皆さま、
SNS等で応援して下さった皆さま、
ネットで見かけて心の中で応援して下さった皆さま、
本当にありがとうございました。

あの時言いたかったこと



今日はありがとうございました。

皆さんは、百年後に伝わるものって何だと思いますか?

百年後に伝わるもの、わたしは「価値があるもの」だけが残っていくのだと思います。

伝える必要のないもの、価値が強くないものは時間の経過の中で淘汰されていきます。

わたしは皆さんを2年前にも聴かせていただいたのですが

その時1年生だった子達は、今は最前列で合唱団を支えています。

1人1人が価値を作り出し、高めて、それを後輩たちに伝え

後輩たちが更に価値を高めて。

そうやってこの合唱団は、わたしが知っているだけでも「2年」続いています。

そして、今は後ろにいる1年生たちが、更に価値を高めていくと信じます。


・・・しかし、百年先に価値あるものを残すために

我々は生きてはいませんね。

100年の前に、まず1年1年を大切に生きること。

そしてその前に、1日1日を大切に生きることが

百年の時間の壁を越えていく1歩になるのだと信じます。

自分たちに出来るのは、今のこの瞬間をどうするか?だけです。

今の目の前にある素敵な時間を、ぜひ大切にしてください。

そういう皆さんの小さな小さな想いと努力が

まだ見ぬこれからの後輩たちに、歓喜の歌となって届きますように。


12年間、ありがとうございました(その2・ラスト)


「あれやこれやシリーズ」、最後の記事です。


時間の壁を越えられず、淘汰されてしまったものたち。
それは、わたしたちの日頃の小さな努力、ではないでしょうか。


なかなか上手く行かない中でも諦めずに練習を続ける事。

泣いたり笑ったりしながら歌の仲間と絆を深めあう事。

たった1つの音だけど上手く歌えた事に喜ぶ瞬間。

緊張した本番のステージ。

何度も何度も、悔しさに涙しながら出来ない自分に挑戦し続ける時間。


1つ1つの小さな努力の多くは、大きな成果に結びつく事はほとんどありません。
しかし、無数の小さな努力の「積み重ね」が1つの大きな価値を生み出し、
時間の壁を越えさせていくのだろう、と。

「百年後」を書いたタゴールは、初めから偉大だったのではなく
その前にタゴール家という大きな存在がありました。
そして彼が生まれるまでの、あらゆる環境と人の存在がタゴールを生み出し、
彼の作品は、時間の壁を力強く越えていきました。

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合唱音楽を愛好しているわたしたちの無意識の目標は
合唱音楽自体を発展させ価値を高めていき
時間の壁を越え、次の世代へ繋いでいくことではないでしょうか。

何がどのように超えていくか?は、今の時点では解らない。
しかし、自分たちの演奏や作品の価値を究極にまで高めていくことが
その大きな壁を超える唯一の道でもあります。

合唱コンクールは、それを高めるための有効な手段ですが
それは手段であって目的ではない。
そしてその手段を最大限使って合唱音楽の価値を高めるのは
時間の壁を越えていくために、今我々に出来る事なのかもしれない。


大河の流れも、最初の1滴から。


今生きているたくさんの合唱人の1人1人の小さな歌声が
時間の壁を越えていく大きな力となりますように。


わたしと文吾さんの「あれやこれや」の記事が
少しでも力になったのであれば、こんなにうれしいことはありません。


そして、明日からの全国コンクールが
時間の壁を超えていく流れの1滴となりますように。


12年間、「あれやこれや」をありがとうございました!


明日、会場でお会いしましょう!!


(おしまい)