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第55回広島県合唱コンクールに行ってきました(その2)


という事で、広島県合唱コンクールの感想を書いていこうと思います。
今日は、ひかりカレッジクワイア、次に「寺漢」の2団体です。


大学職場一般部門 大学ユースの部

1.ひかりカレッジクワイア(混声35)
(G3 / 信長貴富 「ポール・エリュアールの3つの詩」より
    「Ⅱ.わたしは孤独ではない / Ⅲ.メッセージ」)


昨年結成されたユース団体ですが、結成1年目で全国コンクールまでコマを進めました。
大学ユースの部は1団体だけなので、中国合唱コンクールにコマを進めましたので
簡単な感想だけを書いておきます。

1年目の県コンクールとは大きく違って、密度と構成力が増した演奏でした。
課題曲はゆとりの演奏、サウンド感や消えゆく音の流れが美しく
実に安心して音楽に身を任せることができた印象です。
自由曲、音楽のテンションが上がっていく部分でも指揮者は振り過ぎず
音楽にゆとりを与えることに成功していました。

これから1ヶ月、さらに精度を上げていかれると思うのでとても楽しみですね。


大学職場一般部門 室内合唱の部

1.Mens' Vocal Ensemble “寺漢”(男声24)
(M4 / コルネリウス “Ach, wie nichtig, ach, wie fluechtig” リン・ミンチェ “Ave Maria”)


昨年の広島県合唱コンクールで、指揮者の寺澤さん自作の作品を演奏して
客席で疲れて寝ている中高生を全員叩き起こして(苦笑)
演奏後、会場を拍手の渦に巻き込んだ衝撃の団体です。
その時の結果はなぜか銅賞だったのですが
「あんなことコンクールでしていいんだ…」という驚きを
中高生に与えた1点だけでも、大きな意義のある演奏だったと思います。

今年3月の広島県アンコンでは見事にグランプリを獲得!
男声合唱とサックスという実に珍しい編成の作品で、圧巻の演奏を聴かせました。

今回の広島県コンクールでは、5位銀賞という事で
中国合唱コンクールに進むことはできませんでしたが、
今回も充実した演奏を聴かせてきました。正直、とても驚いた。

課題曲M4、耳障りは良いが歌うのは実に難しい木下牧子の「鷗」。
もっぱら飲み会の最後ごろに歌われることが多い気がしますが(汗)
それだけにちゃんと歌った演奏を今まで聞いたことがあっただろうか??

寺漢の演奏は、この課題曲が抜群に良かった!!
最後ごろ、1か所だけ和声が決まり切らなかった瞬間があったと思いますが
これだけ全体の完成度が高ければご愛嬌といったところです。
実に素晴らしかった。

早めの小気味よいテンポ感で演奏することで、音楽の後半で「胃もたれ」するのを防ぎ、
また男声合唱特有の密集和音で濁りが生まれるのを実にうまく回避していました。
サウンドは明るく、しかし深みと滋味を持ち、自分たちの歌声に酔いしれることが全くない。
結果として、シャープな男声で力強い意思を持った演奏をすることに成功!!
これほどまでにカッコいい「鷗」は、そうそう聴けるものではありません。

わたしは、もうこの演奏を聴いただけでノックアウトされてしまいました。。。

自由曲、1曲目のコルネリウスになってもそのシャープな男声合唱のサウンドは引き継がれました。
ただ、少し全体のハーモニーというか構成感がフワフワした感じとなり
音楽が不明瞭なところも何か所か見受けられました。
指揮者の棒の助けを借りて歌い切った印象もあるかも。
シャープな歌声と構成感がさらに噛み合った演奏となれば…と惜しまれます。

自由曲2曲目、この作曲家は中華系の作曲家でしょうか。
初めて聞いた名前だったのですが、きっとわたしが不勉強だからだろう…(-_-;;
Ave Mariaの歌詞のAve、Ave、Aveと繰り返す雰囲気は
松下耕先生の女声合唱“Ave regina coelorum”のような華やかさがあります。
アップテンポの中で音楽が進んでいき、鮮やかでした。
こちらももう少し明快になったような気もします。
「鷗」があれほどまでに鮮やかだっただけに・・・。

とはいえ、寺漢という男声合唱団のポテンシャルの高さと
構成感が感じられる演奏でした。
彼らの作り出す、聴き手にとって見通しの良い音楽は
演奏を好きにさせてしまう魅力がありますね。
また演奏を聴くときがとても楽しみです。

(つづく)

第55回広島県合唱コンクールに行ってきました(その1)


今日は、広島県合唱コンクールに行ってきました。

自分が出演者の立場ではなく純粋に演奏を聴きに行く、というのは
プレイヤーだと余り出来ないので貴重な機会です。
たくさんの魂こもった演奏を聴いて大いに触発されました。
演奏された皆様、お疲れさまでした&ありがとうございました!

今の広島県合唱コンクールは、
県大会を抜けるのが大変なコンクールの1つだと思われます。
大きいところでは合唱団ある、合唱団ぽっきり、去年新たに登場したHiroshima Kantorei。
他にも、男声合唱団の「寺漢」、などなど。

まるで支部大会のような有力団体ばかりが出てきます。
この団体たちで4つの支部大会の切符を争っています。
全部の団体を一括審査して部門ごとの1位から抜いていく、という形です。

去年初めて聴きに行ってレベルの高い争いに驚き、
(まぁたぶんここが行くんじゃないの?的な想像が全く出来なかった…)
また今年も聴きに行ったのですが、昨年以上の大々混戦ぶりに驚きました。
本当に良い演奏が多かった!!

という事で、演奏を聴いた団体の感想を書いていきたいと思います。
ただし、中国合唱コンクールに出場される団体は無し・・・
と思ったのですが、さすがにもったいないのでf(^_^;
簡単な感想を少しだけ書くことにします。
(中国合唱コンクールは聴きに行けないので…)


県コンクール終演後の悲喜こもごもを見ていると
皆さんが懸命に紡いだ音楽はこのように聴こえてきていたよ!
と書いておきたいと思いました。
一生懸命取り組んだものだけが得られるものがあると感じます。
それは、音楽の中に必ず聴こえていただろう、と思うんです。

(つづく)

3人の作曲家のそれぞれの想い(その4)


間がずいぶん空いてしまいましたが(汗)、あのコンサートからちょうど1ヶ月経ちました。
かなり前の事だったような気もしますが、ちゃんと書き留めておこう。

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最終ステージで演奏した、松本望さんへの委嘱曲について。
曲名を
「二つの祈りの音楽 ~混声合唱とピアノ連弾のための~」
といいます。

曲が出来上がってきて、松本さんをお招きしての練習での言葉。
宗左近氏の詩を選ぶには、相当の覚悟が必要だったと。
それは、三善先生の交聲詩「海」という名曲の存在があったからだそうです。

まず1曲目「夜ノ祈リ」について。

宗左近氏のペンネームの由来のざっくばらんさと違って(あの話は本当だろうか?)
書かれている詩は、言葉の巨大な塊りが迫ってくる。
まるで、言葉を越えた肉弾のようなものが、読み手を掴んで揺さぶってくるようだ。

松本さんが選ばれた詩も、読むのに一苦労。
それは、漢字&カタカナの詩だったから。
そして詩の内容が、簡単には絶対に説明のつかない人間の矛盾を一瞬で突いてくる。

詩を読んでも、とっさには言葉が出ない。

しかし言葉は我々を逃さない。その矛盾を捉えて読み手に突き付けてくる。

詩を読むのに、本当に苦労しました。
気持ちが折れそうというか。

だが、今回の1曲目はそういう詩に歌が付いてる。。。
強烈な破壊衝動や破滅衝動を、そのまま音にしたような。
歌う時は演奏者自らが修羅となり、まさに修羅の道を駆け抜けていくようだ。


そして2曲目「永遠の光」

この曲は…。
様々な祈りの言葉のモチーフが現われては消えていき、
しかしそれらが大きな環を描きながら1つの大きな祈りへと昇華していく。

わたしは練習録音でしか聴けなかったのだけど
初めて楽譜を音にして全曲を通した時、
合唱団から自然と拍手が沸き起こった。。
それは歌い手自身が、1回目の演奏で自らの歌に感動したという事。
まだ不完全なところだらけなのに、でもそういう仕上がりの次元を越えて
この曲は余りにも素晴らしい…!

この2曲の組曲は、おそらく日本の合唱史に残るであろう作品です。
また、松本さんの代表曲として語られる日も近いはず。

実際にこの組曲の演奏を聞いた人は1000人を超えていませんが、
いつかその音をたくさんの人が耳にする日が来るように
心から願わずにはいられません。

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松本望さんの作曲家としての「凄み」を、存分に感じた初演でした。
この難解なテキストを巨大な構造物として組み上げて
その想いを音に昇華させていく思想と作曲が素晴らしいのは、もう当然で
歌い手、そしておそらくは聴き手の心を一発で掴む。
しかも、聴き手の心を揺さぶるのではなく
それぞれの内面から、
温かな何かが溢れてくるのを止めることができなくなるような作品。。。

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心の中に大きな存在として残る作品に出会えたことに感謝しています。

1ヶ月経っても、3人の作曲家の作品は
わたしの中で絶えることなく、それぞれが光り続けています。

素敵な作品をありがとうございます。


3人の作曲家のそれぞれの想い(その3)


森田さんの曲について、つづきです。

昨日blogを書いていて、とても不思議な感覚でした。
また同じような事を書いてしまいますが。。

森田さんの音楽は
音そのものがこちらに強く主張してくる事はなくて
(明快な3和音とか、曲の中にあっただろうか??)
むしろその音楽からは、美しくてせつない音、そして「はかなさ」を感じます。

でも、その音楽の魅力は強烈なのです。
はかなさがこんなに溢れているのに、音楽から生命力はしっかりと感じる。
一度その音楽を目の当りにしたら目を離せなくなってしまう。

そしてわたしは、音楽の中に強さと誇りを感じます。
それは孤高であることの誇り、というものかな?
他者に依存していないという強さ、というものだろうか。


全部言葉を並べると、とっても不思議。

美しくて、せつなくて、はかなくて、生命力があって、強烈で、誇りがあって、孤高。

こんなにたくさんの、一見相反するような言葉が
絶妙なバランスで成り立っている音楽に、わたしは思える。
そのエッセンスを束ねるものは、Jazzのリズムが作り出すエネルギーなのだろうか?


時間が経つと、感じる事もまた変わってくると思います。
また演奏する機会をぜひ持ちたい作品です。
とても楽しみにしています。

(つづく)

3人の作曲家のそれぞれの想い(その2)


5月8日(日)に東京の第一生命ホールで行われた
CANTUS ANIMAE20th.コンサートで3人の作曲家の作品が委嘱初演されました。
その演奏会にオンステした感想を書いています。

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第2ステージ。
一昨年の合唱コンクールの課題曲となった「青い小径」の第1曲「鐘」。
その作曲家である森田花央里さんの新作「石像の歌」は、組曲ではなくピースの作品でした。

最初の試演時から、音楽のゆらぎと切なさと美しさが際立っていて
また森田さんの弾くピアノが驚くほど雄弁で、
(わたしは練習録音でしか聴けていないのですが
 録音とか関係なく、その音の雄弁さに惹き込まれてしまった…!)
作曲家の想いが音に乗って溢れる瞬間を体感する事が出来ました。

森田さんによれば「なかなか書けなかった」ということらしいのですが
音の1音1音の立ち姿は雄弁なのに歌い手に見せつけてこないというか
自分の外にある音からではなく、歌い手の内面から何かしら込み上げてくる。
美しくて切ない音が、そこにそのまま佇んでいる…という感覚なのです。

豊かに鳴り響いていても、音は陽炎のようにはかなく消えゆき。

森田さんの言葉を借りれば「この世はかなしい」というものが
音楽の根底に流れているのだと感じられます。

不思議なのは、なぜかその「かなしさ」を見ずにはいられないというか
見てしまうと視線をそこから離すことができない・・・。
それはやはり
「うつくしきものは なべてはかなし」
という事なのだろうと思うのです。

本番で1度歌っただけの作品だから、まだ多くを語る事はできませんが
美しくも哀しいこの曲は、まだまだ多くの魅力を秘めていると感じます。
あの音の中にたくさんの煌めきや輝きがあって、
その向こう側で静かにかなしみが佇んでいるのだとしたら
やはりその音の向こう側を見てみたいと思う。

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「石像の歌」の初演の前に、「青い小径」全曲を演奏しました。
こちらも森田さんのピアノとともに。

あの組曲4曲の美しさは確かに存在していて
でもその魅力に自分がどれだけ心惹かれたとしても
きっとその核心に触れることはできない。
心を重ねつつ、しかし心を重ねることは出来ないのだと。

そして何ら誇示するところは無い曲なのだけど
その存在自体が、誇り高き音楽だと思いました。
いつか、きっとまた。。。

(つづく)