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第70回九州合唱コンクールの感想(その12)


GWが明けて少し空いてしまいましたが、
合唱団「い~すたん」の去年の九州コンクールの感想はここからが佳境!

連載3回目は、ついに「指揮者無し」のまま自由曲の演奏へ…!!


8.合唱団「い~すたん」(混声・20)
(G1 / 千原英喜 「おらしょ」 より Ⅱ〈第2楽章〉)


想いの溢れたSuper flumina Babylonisを聴いて、すでに圧倒されていたのですが
いやいや、ここからもホントに指揮者無しなの?と思ってました。
…とか何とか言いながら、誰かが出だしぐらいは振るんでしょ?とか。。

おらしょⅡが始まりました。
指揮無し、女声のアイコンタクトのみで。


冒頭の女声、男声の祈りが

ゆるやかにそして静かに。

そしてその直後のテンポが切り替わるところ、
何とこれもアイコンタクトで変化していく!!

tuttiで歌われるO gloriosa Dominaの雄大な流れ、これも見事に切り替えていく!

何という事だろうか。
彼らの歌は、すべてが自発的な祈りとなってステージから流れ出てくる。

例えば、キリスト教のミサの中でキロノミーが振られていたとして
それに合わせて歌う信者はいるのだろうか?
キロノミーの指揮に目安にして、自分の心からの想いを祈るのではないか?
大事なことは「合わせる」ことではない。
心からの祈りを神の前で吐露することではないのか?


・・・という事は、理屈では判りますね。
とはいえ、実際にそれを合唱として成立させるには
どれだけ緻密な練習をしなければならないのか?
自発的な祈りと、合唱音楽として成立させるだけの技術の高度な一致。


わたしが聴いた中で今までで一番ぶったまげたおらしょⅡは、
2006年9月の合唱コンクール東京都大会で聴いたCANTUS ANIMAEの演奏でした。
これも極めつけの自発性に満ちた演奏でしたが、雨森先生がいらっしゃる演奏だった。
自由に揺らぎながらも「扇のかなめ」はあった。


合唱団「い~すたん」の演奏は、その「扇のかなめ」無しでの演奏でした。
彼ら自身の自発的な意志が集まって、「かなめ」を作り出していた。
もしこの曲の演奏に「かなめ」があるのだとしたら、
尊い祈りそのものなのではないのか?
それは「神」という存在なのではないのか…?


(つづく)

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