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言葉は不自由


今年2つ目の記事。
どうにもBLOGに書く話が無いのですが本当はたーくさんあるはず。
面白い話はいっぱいあるのだろう。
いつまでたっても音が取れないよー(泣)とか。
練習始まったら人が全然いないよー(泣)とか。
いやこれは、面白いんじゃなくて情けない話か(笑)。

とにかく、BLOGに書くほどは言葉が満ちていない。
想いが満ちて言葉がこぼれたところに、文章が生まれるような気がしているので。。

という事で、現在はこんなことを考えてますよーという話。


よく言われる事だが、言葉というものは不自由なものです。
冷静に考えれば恐ろしい事ですよ?(笑)

自分が考えた事に対する自分の言葉の選択が正しい保証も無く、
また聞いた(読んだ)相手がどのように理解するか?という理解度、
そして判断の仕方さえ判ったものではありません。
しかし誰もが、判ったような顔をして会話をしています。
何をどう、お互いに理解し合って会話をしているのでしょう?
夫婦、カップルなど、お互い何を判った顔をしているのか?
謎ですよね。

だからと言って、何を考えているかをお互いが完全理解する事は不可能。
なぜなら、理解した事を証明する方法が無いからです。
不確かなものを不確かなままにして、皆が生きています。
世の中に正解は無い、と言われますが当然ですね(笑)。


今日書いたこの文章、こんな「内容が無いよう」な内容になってしまうのも
現在読み漁っている本の内容に影響されているところ大なのでしょう。
表面的に見えている事の向こう側に、見えない世界があります。
何をどう理解して言葉にしたらいいのか、
まだ頭の中はミルク粥のような状態で、とても文字化出来ません。
何とも情けなや・・・。

でも世の中の指揮者はそれをやっているのだから
自分の勉強不足に苦笑しながら、今日も本を読んでいます。
果たして、言葉になる前の不確かな感覚を
自分なりに咀嚼できる時は訪れるのだろうか。
去年の年末辺りからずーーーっと、もがいています。

そして今日は、合唱じゃないジャンルの楽譜も買ってしまいました。
いろんな意味で、かなり時間がかかりそうです(涙)。

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