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「コンクール出場団体あれやこれや2014」(その7・愛媛大学合唱団)


続きです。
思いのほか「長文」になってしまいました。
しかも愛媛大とはあんまり関係が無い、という。
すみませんね。。。


7.愛媛大学合唱団(混声51)
(G1 / 千原英喜 「コスミック・エレジー」 より 「鬼女 / わが抒情詩」)


わたしの出身団体です。
だからいろいろと思う事もたくさんあったりする訳ですが(笑)。
今回書くのは、愛媛大の話ではなく、鬼女に関するサイドストーリー。

でも、書きとめておく意味はあると思う。

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5年前の秋だったと思います。
ある若者からメールをいただきました。
自分は指揮者で今度全国コンクールで指揮をする、と。
そしてその演奏の感想をぜひ聞かせて欲しい、というものでした。
突然のメールでしたが(・・・というか、メールは突然来るもんだ(笑))
とても丁寧な内容と向上心と意欲にあふれる内容に快諾をしました。

その年の全国コンクールは北海道・札幌だったのですが
残念な事に、新千歳行の飛行機が遅れ、電車が遅れ、
果たしてメールで交わした約束の時間に間に合うかどうかギリギリに。
ホールに飛び込むと、ちょうどその1つ前の団体の演奏が終わったところで
まさにギリギリ!!その団体の演奏を聴く事が出来ました。

想像通りとても若い指揮者の方で、バトンテクニックもとても丁寧で鮮やか。
もっと大胆さがあってもいいのでは?と思うぐらい、丁寧な印象がありました。
演奏も、輝かしい声に加えてダイナミックな曲想、とても引き込まれるものでした。

残念だったのは、飛び込んで聴いたために
場所に身体や耳が馴染むのと同時に演奏を聴かなければならなかった事。
落ち着いてじっくりと聴く態勢が出来ていれば
もっと違った感想になったかもしれません。

演奏後、その指揮者の彼のところへ行き、
「初めまして」の挨拶をして(笑)、演奏の感想をお話させていただきました。
上に書いた通りの事を。(何年経っても覚えているモノですね)

彼は、うんうん頷きながら話を聞いていましたが
同時に、どこかちょっと納得いかないような、
もうちょっと厳しい意見が聞けると思ったのかな?
自分自身の演奏にも今一つ、納得が行っていなかったのでしょう。
「こんなんじゃないんだ・・・」という声が、
彼の身体から立ち昇ってくるようでした。
少し体調が悪そうで、マスクをしていたのが気になりましたが
それでも、またの再会を約束して、その場は終わりとなりました。

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その方の名前は、椋木公洋さんという方です。
指揮していた団体は、立正大学グリークラブ。
そう、そのステージは「鬼女」を初演した年の
全国コンクールでの演奏だったのです。

その後、あの時体調の悪そうだった椋木さんは、
ガンと闘病している事を知らされました。

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わたしが椋木さんと再会したのは3年前、青森での全国コンクールでした。
その時はすでに入院していて、外出など出来るはずもなかったと思うのですが
会館の中の階段で話を聞くと、「痛み止めを出してもらっています」との事。
病気は完治しない、という事も彼はすでにblogで公表されていて
わたしは楽しみで歌いに来ていた青森も、
椋木さんにとっては決死の旅行でもあった訳です。

あの向上心に溢れた若者にわたしが出来ることは無いのか?

そう思って、彼に1つの提案をしました。
「お互いblogを書いているのだから、
 blog同士で往復書簡をしてみませんか?」

と。

わたしがその時椋木さんに言ったのは、
「今の椋木さんにしか語れない事があるのだと思う。
 今を健康に生きている我々もいつかは同じ道をたどる訳で
 椋木さんだから、今の若者たちや合唱人に語れる事を
 お互いがやり取りする中で書いていけたら、と思っています」

という事でした。
もちろん突然の提案でしたから、その場では決まりませんでしたが
後日、「往復書簡をやりましょう」というメールをいただきました。

辛い闘病中の中でのお願い、さぞ大変だったと思います。
体調が刻々と悪化する中、椋木さんはわたしの呼びかけに
懸命に応えようとしてくれていた。

わたしのblogのリンク(画面左にあります)の中に
「合唱の木」というblogのリンクがあります。
それが椋木さんの書かれていたblogです。

2012年1月24日の記事。
「~往復書簡の前に~ 2009年全日本合唱コンクール全国大会(札幌) 大学部門」

に、あの時今一つ釈然としない表情をしていた椋木さんの心の内が書いてありました。
彼は、わたしよりもはるかに遠くを見ていたのだ。
熱く煮えたぎる思いを持って、彼はあの舞台に立っていたのだ。

そして次の記事、2012年1月27日の記事。
「往復書簡について」

とあります。簡単にいきさつが書いてあります。


その後、わたしから最初の問いかけの文章を書きました。
「前略 むっくさま」
リンクはこちらです。

しかし、彼からは返事はありませんでした。
その4か月後、彼は亡くなりました。
それをわたしは彼のblogで知りました。

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鬼女の楽譜を見るたびに、演奏を聴くたびに、
あの時のとても真剣だった椋木さんの眼差しを思い出します。
彼と会ったのは、おそらく2回だけ。たった2回。
でも極めて強い印象を残しています。

そして、彼が生きていた事、考えていた事を
わたしの眼を通して書き留めておく事もやっておきたかった。
彼が携わった「鬼女」はこれからも命を得て、残っていく。
これは、その最初期にあった1つの出来事です。


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作品というものは演奏者がいて初めて命を得ます。
そして聴き手がいて「演奏行為」が成立する。

愛媛大学の後輩たちは、
当然椋木さんとは何の関係もありませんが(笑)
作品というものは、どんなものでも「命」が込められているのだ、
という事をぜひ知って欲しいと思います。

それは作曲家の命であったり、演奏者の命であったり。
別に死ぬわけではなく、そしておおげさでなく、
作曲家は命を燃やして音楽を書いています。


その上で、君たち自身の歌を歌ってほしい。

上手ヘタではなく、自分の今の持てる能力の全てを使って演奏して欲しい。

今度はあなたたちが、曲に命を吹き込む番です。

ぜひ「自分たちの音楽だ!」と言える演奏をしてください。


(つづく)

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