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東京と松山、それぞれの合唱団での現状

CANTUS ANIMAEについて。

現在、歌い手としてBachロ短調ミサ曲に取り組んでいる訳ですが
歌えないうちはとにかく、絶望ばかりしていました。
他の作曲家だとこういう感覚はないのではなかろうか?
基本的に音は難しくない、しかし歌えない・・・という。

歌い手としての力の無さを突き付けられる。
Bachという頂は、本当に厳しいです。

ところが少し歌えるようになってくると
見える風景が全く違ってくる。
作曲家の思考過程が見えると、音が歌になる。
絶望から歓喜へ。余りに極端。素晴らしきBach。
これほどの大転換というべき変わりようを
今まで体験したことがあっただろうか?

それもこれも、音取りに付き合ってくれる仲間がいてこそであり
どんなに感謝しても感謝しきれません。
この頂、どこまで肉薄できるか判りませんが
自分の出来る限りの能力を尽くして、登り切ってみたいと思う。

音楽の力は本当に素晴らしい。

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さて指揮する方、
Chorsal《コールサル》について。

現在はまだ、今年の初練習を迎えていません(笑)。

こちらでは、自分が歌い手で経験しているような
遥かなる高みが見えている訳でも、
また指揮者として見せられている訳でもありません。
ただ、高みを見たい!!と強く願い続けています。

東京の合唱団と違って、一地方の小さな合唱団のやっている事ですから
いろいろなものが足りていません。
でも東京の合唱団に無いものがこちらにはある。

それは、若い合唱人を育てていく、という事。

自分が今、とても大切なものを左右する立場にある事に
すごく緊張しています。責任を感じる。
決して誇張では無く、
若者たちの人生を左右するかもしれないところに
自分がいます。

当然のことながら、失敗ばかり。ダメだしばかり。
自分自身も失敗の連続です。試行錯誤をし続けています。
しかし、それでも楽しいのです。
その中から時々(笑)出てくる、宝石のようにきらめく音たち。
その輝きは、東京で経験した事と比較しても
決して劣る事はありません。

たくさんの事を知り、経験していくと、
反比例して驚きは減っていきます。新鮮さも減っていきます。
それこそが経験というものなのだろうけど。

だからこそ、若者の感動というのは
こんなにもまぶしいものなのか、といつも驚かせられます。

自分たちに足りない事はたくさんある。
しかし、音楽の高みを目指したい!という「気概」だけは
常に持っていたい、持っていてほしい、と願います。
その気持ちがある人だけが、上達できる。

それだけは、東京であろうと松山であろうと
全く関係が無いのだから。

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