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手の届かない世界、思いの届かない世界


3日前の朝、ツイッターを見てみると、
某大学の「野宿同好会」という不思議なサークルが行おうとしている、
新歓企画のツイートが写真付きで載っていました。
何でも「山手線連続20周耐久乗車企画」らしいのです。
のどかにピースサインして企画スタートさせる6人ぐらいの若者たちの笑顔。
わたしは「良くやるよなぁ・・・」と呆れながらも面白く思い、
同時に20周=20時間である事に気が付き、再び呆れました(笑)。

ところが夕方に再びツイッターをのぞいてみてビックリ。
何と、その「野宿同好会」に非難が殺到しているというのです。
その非難とは、
「山手線に20周連続乗車は、不法乗車ではないのか?」
「電車にそれだけ長く乗り続けるのは不法占拠ではないのか?」

などなど。
その記事はコチラ↓
http://www.j-cast.com/2013/04/27174125.html

半分イタズラのような、度胸試しのような
サークルの内輪だけで行われるはずの小さな企画が
ツイッターで呟いたため、世間にさらされ批判非難を呼ぶ。
今や、自らの呟きは世界に繋がってしまっている。
前を歩いている見知らぬ人が転んだ事すら、
手軽に世界発信できてしまう時代です。

(ちなみに「野宿同好会」の皆さんは、
 1日乗車券を購入しているので違法乗車では無いそうです、念のため)

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ところが人間は、遥か彼方の出来事を瞬時に知ったり、
小さなつぶやきを自分の知らない世界の裏側まで伝えるような、
夢のようなデジタルツールを手に入れたのに、
そのツールを使う事で起こりうるトラブルはアナログ的に判断しているし
(当然です、感情があるのが人間ですから)
自分の想定を超えた事態が起こった時には、全く対処できなくなる。
(これも当然です。想定外にすぐ対処出来たら、それは想定内・笑)
しかし、デジタルツールの利便性は常識的想定を簡単に超えてくる。


これは余りに不幸な出来事ではないでしょうか。
現代に生きる我々は、常に
手の届かない世界にまで思いを届けなければならないのでしょうか。


一応これは合唱blogなので、合唱の話に繋げると(笑)
どんなにデジタル化して運営や技術的な部分の利便性を追及しても
最後はアナログの感情とアナログの肉体を駆使して行うのが合唱です。
「アナログである事」をおろそかにすると、合唱は成り立たない。
むしろ、いちいちアナログであった方が良いはずなのです。
しかし時代はそれを許さない。
その流れとどうやって折り合いを付けながら進んでいくか?が試されています。


当然ながら今後も、
更にデジタル化が進んでいくと思われます。
すでに、iPhoneの鍵盤ソフトを使って音取りしている人は多く居ますし
(キーボードも不要なのか・・・)
楽譜をデータ化してiPadに取り込んで練習・本番で使うとか
(何とその楽譜データに直接書き込みもできるらしいです)
そこまでやっている団体もあるそうです。

そしてわたしは将来的に、グーグル・グラスのようなデジタルツールを使って
演奏する団体も登場するのではないか?と想像しています。
グーグル・グラスとはコチラ↓
http://www.google.com/glass/start/what-it-does/

楽譜をデータ化して射影しながら演奏。
すると暗譜しなくてもよいかも?中高年合唱人から大歓迎!?
しかしこれって、老眼でも見えるんですかね?(笑)


さらに先に進むであろうデジタル化。
人と人との距離はさらに遠く、互いの想いを重ねる事は難しく。

そんな時代だからこそ、
アナログである事の素晴らしさが逆に際立つはずです。
なぜなら、人の心の感動の揺れが、周りの人の心を揺らすのだから。
本物・本気の演奏こそが、強く人の胸を打つ。
その部分が、今以上に強烈に問われてくるような気がしてなりません。


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