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豊中混声合唱団 第52回定期演奏会(その2)


昨日のつづきです。

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感想を書く前に。

今回、トヨコンの演奏会に行った理由の大きな1つは
須賀先生の振られる「ひたすらな道」の演奏を聴きたい!と思った事。
高田先生の薫陶を直接受けた須賀先生の真髄は、
生演奏を聴かなきゃ感じられない。


第4ステージ 混声合唱組曲「ひたすらな道」(高田三郎)
 1.姫
 2.白鳥
 3.弦


「姫」のピアノ伴奏が始まり、合唱が「むかし・そむかれて・・」と歌い始めて
おぉ!!!と強く驚く。
それまでの前半に鳴り響いていた豊混のサウンドが激変。
中低音の充実した深みと引き締まって厳しく屹立する高密度な声、
これこそわたしの記憶の中にある豊中混声のサウンド!
そしてこれこそが、高田作品が求める音楽!!

しかもそれだけではない、昔の高田作品演奏とは違う部分も。

それは合唱団が歌い過ぎず、語り続けること。

言葉に寄り添った自然なアゴーギグによって語られる言葉。
豊かな声を持つ合唱団が、歌わずに言葉を語りつづける。
この言霊の中の倍音を深く感じているからこそ、
しなやかに、また厳しく語りつづける。

おそらく高田作品は、歌い手が旋律に酔いしれた瞬間、
音楽がその命を失うと思われます。
常に言葉と音の有り様に心を配り突き詰めていかなければいけない。
現代合唱曲の作品群とその有り様が大きく違うのは
「歌で歌い手を喜ばす部分がない」という1点に尽きると思っています。

一瞬の心の緩みなく語り続けられる音楽。
3連符の連続でつぶやくように語られる「わたし」の言葉たち、
そして「そのやまみちをくだるときだった」の緊張感、
そのあとに訪れるわたしの驚き、わたしの中に沈んでいく小石・・・。
それは1人1人が言葉と対峙し続けないと、決して生まれてこない音。

「白鳥」、ゆるやかなたたずまいが音となり語られる。
もがき始め、なおも畳みかける厳しい言葉、そして飛翔。
この瞬間の美しさに満ちた音と言ったら・・・!

高田作品は
天へ帰るのを許された者のみに、歌う事が許されるのだろうか。
余りの美しさと優美さに落涙。。

ふたたびもどってくる白鳥、しかし合唱団は歌い過ぎない。
福音史家のように、安らぎを感じつつも言葉を語り続ける・・・。

「弦」、ディクションの有りようが素晴らしい。
何と言葉の判り伝わってくる演奏である事か。
強い緊張感である続ける言葉、
それがまさに「弦」の姿であると言わんばかりに。
指揮者と合唱団の強い意思と、使命感さえ感じる厳しさをたたえた演奏。

3曲を通じてその演奏は小節線を全く感じさせず、
それを越えたところに言葉と音楽が在りつづけました。


名匠との隙の無いやり取りに、合唱団が応えていく。
わたしは聴いていて、とても羨ましくなりました。
この高田作品という孤高の頂を目指す者同士が、
そこを目指しているからこそ感じられる厳しさと
それを超えた繋がりを持っているであろう事を。

ただ、名匠とのやり取りに合唱団が酔った?と感じた瞬間が
無いわけでは無いのですが
(それは語尾で語られる弱音の言葉の強さと、ホールの響きの関係)
それを含めても、おそらくは現在最高の高田作品の演奏。


曲が終わった後、熱い拍手が客席を埋め尽くしました。。。

そして須賀先生ステージのみでのアンコール、
「確かなものを」より「1.遠くで鐘が」

個人的にも、とても思い入れのある懐かしい曲です。
わたしにもただ心豊かに歌い、高田作品に挑んでいた時期もあったのだ、と。
ピアノの右手が響かせる、遠くの鐘の音を心地よく聴きながら
静かに歌われる言葉に心を委ねていました。


豊中混声合唱団の皆様、須賀先生、
ただただ胸を打たれる演奏でした。
本当にありがとうございました。


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・・・このステージで感動のうちに演奏会を終わっても
きっと誰も文句は言わないはず。
しかしこの先に、まだまだ続きがあるという怖ろしさ(笑)。
というよりも、豊中混声合唱団という団体の
広がりと奥行きを感じずにはいられませんでした。
この後、西岡先生、作曲家の伊藤先生、そして詩人の和合さんが
すさまじい世界を作り上げていくのです。

最終ステージ、果たして文字化できるのだろうか?
とても書き尽くせるとは思えませんが・・・何とか挑戦してみようと思います。
間違いがあった場合はご容赦ください。


(つづく)

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