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しばらくぶりとなりますが


しばらくblogが沈黙状態ですが
わたしは元気にやっておりまする。

しかし、沈黙をしていると心配されちゃうものなのですね、
「長崎の合唱好きの人さま」からお電話をいただきまして
ちょっとビックリしながら「何用でしょう?」とお尋ねしたところ
「用はないけど名刺が出てきた(笑)」
との事でした。

長崎の合唱好きの人さま、お話しできて大変うれしかったです。
ありがとうございました!(*^o^*)


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じゃあblogも書かずに何をやっていたかというと
いろいろと考え事をしていました。

「なぜ自分は、人は、合唱をやっているのだろう?」

という、単純に考えるとすぐに答えが出て
深く考察していくと絶対に答えが出なさそうな命題。

演奏会をやったりコンクールに出たりしていると、結果はともかくとして
演奏がなかなか上手くいかない事に歯がゆさを感じたり
ちょっとした進歩がすごくうれしかったり
音のかすかなの機微を刺激的に感じる感覚があったり
余りに意味の無い音に辟易したり(苦笑)
全然ダメダメダメダメーな練習を自分がやってしまったり(涙)
ピタッと音楽と演奏がはまった瞬間にゾクゾクしたり
余りの自分の音楽性の無さに、もうやめちゃおうか?と失望したり…

…この調子で書いていくと終わりがないぐらい書きそうですが-_-;;
とにかく、よく考えるとそれを20数年間延々と続けている訳です。

いったい何を求めてやっているのか?

そりゃ、コンサートでもコンクールでも目標は同じ、
良い音楽を奏でる事が出来ればゴキゲンなのですが
そこまで自分を突き動かすものはなんだ?


うちのメンバーと先日少し話し込みまして
2人で「そうだそうだ!」という、とてもシンプルな1つの確信を得ました。
といっても、その内容は「ナイショ」なのですがm(_ _)m
(当たり前のことすぎるし、そんなの人によって違うし)
とても大事なのは、そういう志を自分と重ねる事が出来る人がいる、という事なんじゃないか?と。


それこそがアンサンブルなのだろう、と。
そうやって音楽自体も深まっていくのだろう、と。


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余り上手く文章化できませんが
とにかく自分なりにこれまでを振り返って考える時間が続いています。
単に良い歌を歌っていればゴキゲン、良い音楽が作れればいい(そりゃそうだけど・笑)
という思考から、その音楽が出来るまでの有り様に目線が行っているのでしょうか。

こんな事を考えていると、blogがなかなか書けないのですが(笑)
すぐに答えが出る命題ではないけれど、
これは深く考えておくべきだろう……と思っている訳です。


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Comment

編集
いやいや、お仕事中?突然電話してすみません(~_~;)

メールやブログ上ではやりとりしてもらってましたが、そういえば電話でお話したことがないなあと思って。

ほんとに用はなかったのですが(!)、用があるときしか
話さないというのも寂しいものじゃないですか。


以前、東洋建築の特質はもともとある物質から空間を切り取って作られてきたが、西洋建築は何もないところに石を積み上げて作られてきた、それが東洋的思想と西洋的思想を端的に現している、といった要旨の講演を聴いた事があります。
音楽って、音が鳴っていない沈黙の空間?はざ間?をどんだけ狭めたり拡げたり感じさせられるか、東洋建築みたいなものじゃないか的なことを最近考えてます。

たとえばバーバーあにゅすでいのようにずーっと音が連続していてもfffのあとに全停止沈黙が来ます。
あの沈黙の空間の大きさは、合唱団がそれまで積み上げた「石の積み方」によって違うはずと思うのです。
(単に、ディナミックのことを言っているのではないのですけど)

漠然とした話で長くなりました。<m(__)m>
そう、今後は「沈黙の空間」を意識していこうかなという話です。

あー、こんなこと電話で話せばよかったのかー。
2010年10月08日(Fri) 23:22
仕事中でした(笑)
編集

>長崎の合唱好きの人ことarea51様

どうもです!お電話いただきとてもうれしかったです♪


> ほんとに用はなかったのですが(!)、用があるときしか
> 話さないというのも寂しいものじゃないですか。

これまたおっしゃる通りです。わたしも突然電話しちゃお(笑)。


> 以前、東洋建築の特質はもともとある物質から空間を切り取って作られてきたが、西洋建築は何もないところに石を積み上げて作られてきた、それが東洋的思想と西洋的思想を端的に現している、といった要旨の講演を聴いた事があります。
> 音楽って、音が鳴っていない沈黙の空間?はざ間?をどんだけ狭めたり拡げたり感じさせられるか、東洋建築みたいなものじゃないか的なことを最近考えてます。
>
> たとえばバーバーあにゅすでいのようにずーっと音が連続していてもfffのあとに全停止沈黙が来ます。
> あの沈黙の空間の大きさは、合唱団がそれまで積み上げた「石の積み方」によって違うはずと思うのです。
> (単に、ディナミックのことを言っているのではないのですけど)

うひゃー難しい話。。。(+_+)

おっしゃっている事は何となく判る気がします。
わたしはオーケストラの映像を見たりするのですが
カラヤンの指揮、クライバーの指揮、どちらを見ていても案外、
休符の扱い方がゾンザイだなぁ…と思う瞬間があって(もちろんすべてではないですよ)
「休符は休み!」みたいな空気を感じる事がある。

ところが小澤征爾だと「休符が音楽」というのがアリアリと見えて
日本人としてはそちらの方がしっくり来る気がします。
しかし、小澤征爾と友人関係だったチェリスト、ロストロポーヴィチは指導している時に
「休符をしっかりと表現しなければ!」と言っているシーンとかがあって
いろいろな感じ方があるのだなぁ…と感心したこともあります。


> 漠然とした話で長くなりました。<m(__)m>
> そう、今後は「沈黙の空間」を意識していこうかなという話です。
>
> あー、こんなこと電話で話せばよかったのかー。

はっはっは、何時間お話するつもりですか(笑)
今度、超熱い男氏とも一緒に、Skypeでもやりますか?
延々と続きますよ(~_~)

2010年10月10日(Sun) 23:39












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