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史上かつてなく名残り惜しい演奏会(その25)


はぁ…6月かぁ。長いなぁ。。
7月にならないように顔晴らなければ…。
このペースだと、絶対に無いとは言えないなぁ。。
早く終わりたいとは思ってます、常に。。

web文通相手サマも、体調が悪いようで心配です。

わたしがわざわざ書くほどの事でもありませんが
文吾さんが書かれている文章は、絶対に誰にも書けないクオリティ。
(もちろんわたしだってムリですわ!)
わたしが頭の中の断片をひねり出しているのと違って
客観的かつ多角的な分析は、とても勉強になるのです。

…お互い、顔晴って早く終わりましょう、ね、ね、ね!


…おっさん同士でいたわったところ?(-_-)で、続きです。


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合唱団ある(広島)

Selig sind die Toten, die in dem Herren sterben(曲:Heinrich Schutz)

Komm, Jesu, Komm(曲:Sven-David Sandstrom)

無伴奏混声合唱のための「廃墟から」より(沖縄の伝承詩 曲:信長貴富)
 第三章 葬送のウムイ

AMAZING GRACE(詩:John Newton アメリカ民謡 編曲:Eriks Esenvalds)

世界に一つだけの花・花・花(詩・曲:槇原敬之 編曲:松前良昌)

指揮:福原泰弘 松前良昌


…確か、合唱団あるのステージ前に休憩があったと思うんです。
いや、無かったかな…?あったと思う。。。
もう記憶がとろけて無くなりかけています(大汗)。

おまけに「朝からの練習+昼食で満腹+美しい音楽を連続鑑賞」とくれば
そりゃー眠くならない方がどうかしてます。はい、もうムリ(笑)。

合唱団あるの本番の時は、わたしは動き回ってました。
寝ちゃうと歌えなくなっちゃうし聴けなくなっちゃうし。
ステージ下手とかにね、勝手にまた入り込んじゃったりとか。
ちょっとだけ外に出て、身体を起こすために素振りとか、ね。。(苦笑)
スミマセン…。


さて、合唱団あるの演奏です。
いつもあるの演奏を聴いて思うのは、演奏の雰囲気が独特である事。
音楽が温かで包み込まれるような感覚があり
(しかし家族的…というのともまた違った…何とも書きにくいのですが…)
指揮者の音楽が突き付けられるような強引さは皆無。
むしろ、指揮者と合唱団の歌い手1人1人が融解しているかのような
かといって没個性に陥る訳でもなく
ただただ「和」の音楽を創り上げる団体。

本当に不思議ですね。演奏を聴いていると、
何か見えないモノを全員が見つめているような感覚があります。
指揮者の福原先生・松前先生が作り出している音楽には哲学がある。
そしてやはり、田畑さんの残されたモノは素晴らしくて
それを全員がキチンと継承・発展させようとしているのだと思います。

シュッツの軽やかな音楽が素晴らしくてホレボレ!
そして、サンドストレームの難曲や信長作品を演奏されていました。
もう細かいところなんてのは、わたしの耳では聴いていて全然判りませんが(笑)
そういう音楽を作る団体が不協和音の塊や、
クラスターのような音を作り出したとしても
そこには理念を感じる。大きな見えざるモノの中で作り出されている音楽?
何だか自分で書いていても全然よく判りませんが(爆)
「葬送のウムイ」とかも、音楽の中に筋の通ったメッセージ性が内包されている。

合唱団あるの作り出す音楽には
音楽全体を大きく俯瞰しているかのような意志を感じるのです。
何なんでしょう、これは…。

最後2曲は、美しく、そして楽しいステージ。
1人1人が音楽をしっかりと作り出していて、
「合唱団ある」というグループを作り出している。
これは何とも楽しく、そして羨ましい気持ちにさせる演奏でした。

そうそう、1人の指揮者に引っ張られるんじゃなくて
自然とそこに集っている人たちが音楽をナチュラルに演奏している…。
そんな雰囲気にあふれたステージだったのです。


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…あぁ~~~これでようやく、単独演奏を聴いた団体の感想は終わりました。
もう1団体あるのですが、これは自分の出演した団体。
演奏者自身が自分の団体の感想を書く…なんてのはあり得ないので(笑)
チョビッとだけ何か書きます。すべてわたし個人の言い訳です(涙)。

という事で、続きます。


(つづく)


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