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史上かつてなく名残り惜しい演奏会(その22)


…昨日は、ついはしゃいだ記事をupしてしまいましたが
弱小大学合唱団OBとしては余り良い話がないもんですから(苦笑)
温かい目で見てやってください。(^_^A


実際書いてみると、記憶がアヤフヤになってきているからか
だんだん感想を書くのが大変になってきました。
踏ん張りどころです、ふんっ!!
という事で続きです。


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合唱団「葡萄の樹」(京都)

翼(詩・曲:武満徹)

Varen(曲:Edvard Grieg)

Duerme Negrito(曲:Atahualpa Yupanqui 編曲:Emilio Sole)

Shenandoah(American Folksong 編曲:James Erb)

すみれの花咲く頃(詩:白井鐵造 曲:F.デーレ 編曲:信長貴富)

Wiegenlied/樫の木のように(詩:長田弘 曲:J.Brahms・信長貴富 編曲:信長貴富)

Axuri beltza(Basque folk song 編曲:Javier Busto)

指揮:伊東恵司


今回の男声合唱合同で、初めて伊東さんの指揮で歌うチャンスがあり
それでいろいろと考えたあとで「葡萄の樹」の演奏を聴くと
「なるほどなぁ…」と納得する事ばかりです。

このまま書いたら演奏の感想じゃなくなりそうですが…
でもいいや、ご勘弁(笑)。

伊東さんのモノを見る目線の鋭さというか、洞察力が尋常ではなくて
どう尋常じゃないか?という事が書けないぐらい尋常じゃないと思う。(何だそりゃ?笑)
練習の進め方などからも感じられる事ですが
基本的に合唱団には大きな自由が与えられている。
だから伊東さんが指揮をされる合唱団の演奏は、常に伸びやか。
ところがその自由には一定のルールが存在して…。


何か民主主義の説明みたいだ。。


そして伊東さんはそれを束ねる存在です。

ところがこの場合の「束ねる」というのは強制的なものではないから
「ルールを守ろう」という自発的な気持ちがある事が大前提。
しかし伊東さんは合唱団に大きな自由を与えているのだから
合唱団員は「無意識に」ルールの中に納まりたい!という気持ちを持っている…
という事になる…のかな?

人間は、無意識に「楽しい!」と思う方に吸い寄せられる習性があって
この場合は「ルールを守ると楽しい」という事を合唱団員が感じている。
つまり「こうやって歌うと楽しいんじゃない?」という事を全員が理解している。

…という事は、伊東さんは音楽を構造的にとらえて
現状を的確に分析したうえで
それをシンプルな形でプレゼンテーションする事に
非常に長けている…という事なのだと思います。


これって、書くのは超簡単、実行するのは普通は不可能(笑)。


「葡萄の樹」の演奏は、まさにそれがサウンドとして具現化されたものであって
わたしは演奏を聴いていて、
「よく手入れが行き届いた西洋庭園」
を見ているような感覚になりした。


この庭園は、どの場所からでもすべてが見える見通しの良さがある。
飛びぬけて背の高い植物は植えられていないのだけど
手入れがされた花々が、キチンと配色まで計算されて美しく咲いている。

でも近寄ってよく見ると、
それぞれの花々は咲きたいように咲き誇っている…。
遠慮して?小さくなっている花とかがある訳じゃなく、
小さくても大きくても、それぞれが力いっぱい咲いている。
そこがまた魅力的。

そして、一歩引いて見ると美しい花の群れとして見え、
さらに全体を見回すと、とても手入れが行き届いた庭園となる。。。


…ん?これは魔法か?(笑)
いえ、これはマジックではなくてロジック。
キチンと計算されて考え抜かれた結果だと思われます。
強烈な個性です。


それにしても…自由に歌いつつ、音楽が何と爽やかな色彩感を持っている事か。
動きを伴う演奏がいくつもありましたが
ムリが無いんです、動きにも歌にも。
だからといって動きを抑えた動き?をしている訳じゃなく。


甘い花々のにおいがステージから香ってきた…。
「葡萄の樹」は、そんな印象の演奏と感じたのです。


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…感想を書いていて、
「書くだけってなーーんて簡単!(笑)」
と何度思った事か。人の心を動かすのは本当に難しい。
これはやっぱり魔法?
ロジックじゃなくてマジック??
どうなのでしょうね???


(つづく)


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