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須賀先生の「水のいのち」


ご無沙汰しております。。。

本日、愛媛県新居浜市において、
新居浜混声合唱団主催、香川・愛媛8団体が集う、
「水のいのち」作曲50周年+1記念、「水のいのち」演奏会に出演してきました。

須賀敬一先生は、現代最高の高田作品の理解者です。
過去の高田先生を囲む演奏会や、豊中混声の演奏会などで良く知っていましたが
須賀先生の凄味と、「水のいのち」という作品の圧倒的な精神性を
この練習やコンサート本番を通じて、改めて痛感した次第です。

まず須賀先生について。
わたしなどが書くのは大変恐れ多い事ではありますが、でも書きたい(笑)。
圧倒的なディクションに対するこだわりと豊富な知識、経験。
合唱団を須賀ワールド・高田ワールドに引き込む的確なバトンテクニック。
そしてなによりも、絶対に妥協しない作品に向かい合う厳しさ。

文字に書いてしまえば、よく見る褒め言葉みたいですが
「野武士の居合切り」のような切れ味を、常に感じ続けるレッスンでした。
一瞬の閃光を逃せば音楽が死ぬ。
音楽に対する凄味を見たというか。
一生の記憶に残る本番になった気がします。


もう1つ、「水のいのち」について。

こんなに難しいというか、
音楽をまとめる力を要求される作品も余り無いと思います。
こう書くと失礼かもしれませんが、音はそんなに難しくないから平易に歌えます。
しかしそれでは全然音楽にならない。
歌い手にとって美しく平易な旋律線であるがゆえに、
そこから指揮者が、孤高の頂を「切り出す」のが
至難の業のような気がするのです。

須賀先生の叱咤激励、そう、無数に飛ばされた「激」の数の分だけ
歌い手が高田作品に向き合い切れていない、という事なのだと思います。
「水のいのちは歌い慣れた」と、もし思っている人がいたら
きっとそれは「水のいのちを全然判っていない」という事と同義でしょう。

我々は音楽に向き合い続ける限り、
「水たまり」の「在ろうと苦しむ 小さな心」にも
辿り着いていないのだから。


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