本日、バリトン歌手の畑中良輔先生が死去されました。
心よりお悔やみ申し上げます。
畑中先生は、合唱人にとってはやはり合唱指揮者としての認識の方が強い。
慶應ワグネルをお振りになっての数々の演奏は、CDは動画で触れる事が出来る。
合唱界の誇る財産。
わたしはおそらく1度しかお見かけした事は無く、
確かそれもコンクールの審査員をされていた時とか、その程度の事だったと思う。
むしろそれよりも、音楽之友社より出版されている
「レコード芸術」の声楽新譜の月評で
畑中先生に触れる事がもっとも多かったのではないだろうか?
先日は20世紀最高の名バリトン歌手、
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが亡くなったばかり。
音楽界に豊かな実りをもたらし続けてきた名匠が次々に亡くなっていく。
いやだなぁ。
でも時間の流れには逆らえない。
きっと今はそういう時期なのだ。
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若い時は考えもしなかったが、
最近は自らの終わりに向けて何をすべきか?という事を
よく考えるようになった。
・・・いや、ちょっと違うな。
今やっている事は、本当になすべき事なのだろうか?と考えているというべきか。
他にやるべき事が特にある訳でもないのに(笑)。
自問自答を繰り返しながら、突っ走っている。
きっとこれも人生なのだろう。
先日お父様を亡くされたよしもとばなな氏が、
ツイッターにこんな事を書いていた。
「親が死ぬって、飛び込み台の順番を待ってて、
前の人が飛び込んでいなくなって、
はじめてプールがいきなり直接見おろせる位置になって、
よし、次は自分の番か…としだいに決心がつく感じにすごく似ている。」
「つまり、人類がくりかえしてきた順番を素直に理解する、という感じ。」
(5/7のツイートより転載)
このツイート、思わず何度も読んでしまった。
その順番が来るまでに、先頭の人の心持ちも受け継いでいるのだろうと。
合唱界で何人もの先達が亡くなられていく中で
若いと思っていた自分も、いつの間にか中堅どころのような年齢になってきた。
といってもわたしは「合唱界を支える立場」でもないし実力もないので
その辺りはもっと音楽的に優れた方々に任せるとしても
どこにでもいる凡人である自分でも、一生懸命やっていれば十分に
充実した合唱人生を送る事が出来るんだよ!
というメッセージぐらいになっているといいな・・・とは思う。
悩みながら、迷いながら、でも楽しみながら、
きっとこれからも突っ走っていくのでしょう。
うん、「突っ走っていく」ってのがイイね。
畑中先生の訃報から脱線して、取り留めのない文章になりました。
余りの文章力の無さを嘆きつつ、改めてお悔やみ申し上げます。
今日はこれから、多田武彦を聴こうと思います。
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