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「絶対音感」(またまたつづき)


この話、非常に疲れる話題です(苦笑)。
人によって感じ方も考え方も捉え方も違う事ですから
確信を持って書ける話題ではないですし。
ふぅ。

あくまでも「仮説」ですから、話半分に読んでください。
書いてる本人も、結論がどこに落ち着くのかよく判ってませんから。。(-_-;;


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わたしが以前から不思議だったのは、
ピッチの大きな変遷が400年ぐらいの間に起こっていたという事は
「聴こえる音から受ける『音楽の印象』が
 過去と現代では大きく違うのではないか?」

という疑問でした。


ただこの疑問は、今はある程度納得しています。


まず、現代と過去では余りにも社会状況が違い過ぎる、という事。
すべてにおいて発達している現代と、
移動手段は馬車しかなく、連絡手段は手紙しかない時代とでは
人々の感じ方は、あまりにも違い過ぎるはず。

現代人だったら、ハイドンの交響曲「驚愕」を聴くよりも
渋谷の交差点に10分ほど立っていた方が
よっぽど「驚愕」する事が多いと思うんですよね。(^o^;;

しかし当時の人々はたぶん、
あの曲でとてもビックリして眠りから起こされた…のですから
(平和だなぁ。。)
当時と現代では、流れる時間の早さ、情報・刺激の多さは比較にならない。


そういう人間の感覚が、音楽のピッチにきっと影響を与えているはず。


また、楽器と奏法の発展も、考慮に入れる必要があります。
楽器は大きな音量の出る楽器が開発され、
奏法もそれに伴い変化していった。
すると自然に、演奏効果の高い方向へ音楽が変化していった。
それとともに、ピッチも少しずつ緊張感の高い方へ。。。


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そう考えると、
当時の人々と現代人が聴いていたハ長調のピッチが違うとしても
それが一律に「音楽から全く違う印象を受けた」と言い切れるものでもない。
現代と当時の時間の経過をカットして考えると、確かにピッチは違うのですが
そこには「ある程度」同じ人間の感覚が存在しているんじゃないか?と
今のわたしは解釈しています。。。


だから今も昔も、ハ長調の響きから感じる印象は
(全く同じではないにしても)共感するところがあると思うのです。



…そもそもこの話題は、
ピッチの固定化がなされている現代人ならでは、の発想かもしれません。
固定化されてなくて、現代もピッチが日々変遷しているとしたら
(情報交換が全くなされていない、という大前提付き!・爆)
「四国のハ長調」とか「東京のハ長調」とか、
いろんなピッチがあっても不思議ではないかも…?(^-^A




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