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音楽批評(その3)

以前辻正行先生は、練習時に齋藤秀雄先生の話を何度かされました。
とにかく練習が厳しくて怒鳴られっぱなしだし、練習の遅刻厳禁、
1人でもいない人がいると、全員集まるまで練習が始まらない!などなど、
齋藤先生の練習は、とても大変だったのだそうです。


ある時、こんな話をされました。
練習が上手く行かずに指摘を受け、次に演奏をした時上手くいったら
齋藤先生はとても怒るのだそうです。

なぜ?

「ちょっとした指摘で上手く歌えるならば、
 指摘される前に最初から上手く歌え~!」怒り


という事らしいです。たはは・・・。

大久保で同じ状況になった時、辻先生は練習を止めて
「齋藤先生葉こんな事言うんだよね~、何だか判るんだよね~。」
とおっしゃりながら笑っている。
実はたぶん、辻先生も怒りたかったに違いない(爆)。


また、齋藤先生のある練習時の事。
以前した指示と違う指示をした時、齋藤先生はこうおっしゃったそうです。

「君達はよかったねぇ、わたしの進歩した過程を見られるんだから。」
(言葉一字一句同じでは無いと思いますが、ニュアンスは同じはず)

辻先生自身も、前と違う指示をした時には
この齋藤先生の言葉を引用されて、
「みんな、よかったよネェ~♪」
と言って笑ってらっしゃいました。はっはっは・・・。

歌っているこっちは、実は辻先生が準備不足だったに違いない!!!
と思い込んで(ホントかどうかは不明)一緒に笑ってたのデスが。。ウインク



音楽を捉える「自分の思考」は、刻一刻と変化しています。
当たり前の事だとは思うのデスが、なかなかそれを自覚し続ける事は出来ない。
昨日の自分は今日の自分とは違う、という事を主張し続けると
「意志の弱いヤツ」とか「心変わりの激しいヤツ」
と思われて、信用が無くなるのがオチです(笑)。
指揮者がドンドン違う事を言えば、歌い手は混乱するでしょうし。


ところが、音楽をどう捉えるのか?という部分で
誰もが日々変化し続けている。音楽を聴いた時の批評は
「それを聴いた瞬間の自分が感じた感想」
であって、今も同じように感じるかどうかは判らない。

イイカゲンなようですが、全く同じに聞こえる方が逆にイイカゲンだとも思う。


人の前に立って指導する事が多くなった時
上に書いた事を強く自覚する機会が増えたと思います。
「音楽を練り込んでいく過程でこそ始めて気が付く事」
最初に指示した事と違う、というのは、起こっても全く不思議ではない。


齋藤先生はともかく(笑)
「実は辻先生が準備不足だった訳じゃないんだ!」という事に気が付くには
わたしは結構時間がかかってしまいました。。。
いや、本当は準備不足だったのかもしれませんが(爆)
今となっては確かめようが無いし、もしお元気だったとしても
逆にそんな事聴ける訳無いし(爆)。



むしろ、自分が変化していくという事にとても敏感だった、
というのはすごい事だと思うのデス。




去年のコンクール演奏についてわたしもいろいろと書きましたが、
一聴しただけで判る事感じる事はたかが知れています。
わたしは本当にどの団体からも「こうやりたいんだ!」という意図がとても感じられて
とても勉強になったし、「こうやりたいんだけど上手くいかないんだよなァ~」という
ジレンマのようなモノも強く感じる事が出来ました(苦笑)。
ただそれは、
「本番の場で聴いた瞬間に感じた不確かなわたしの感想」
なだけであって、今聴けば恐らく違う感想が出てくるのだろう、とも思うのデス。



一瞬で生まれて消えていく音楽を、日々変化していく人間が聴き
感動したり涙を流したりする。
その行為に取りつかれたように、皆が思いを賭けて活動している。
とても不思議な事だと思います。

でも、そのすべてが不確かな繋がりの中で
短い時間でも、皆が共感できる音楽をする事が出来たら
どんなに素晴らしいでしょうね。




だから、音楽はやめられないのだと思う。




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