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プロフェッショナル仕事の流儀 樫本大進


最近はテレビを見なくなって久しいのですが、
今さらながら、「プロフェッショナル 仕事の流儀 樫本大進」を見ることができました。

いやはや、本当に素晴らしい。
素晴らしいのは演奏を見て知っていましたが、樫本さんは真のスーパースターです。

スポーツの世界で言えば、
サッカーの本田選手やMLBのイチロー選手、大谷選手と何ら変わらないです。
それぐらい、注目の人物として扱われてもおかしくない。

圧倒的な実力を持つコンマス、そしてベルリンフィル、
その根底に流れるのは、良い音楽を作り上げるという意識と意欲。
そんなの当たり前のことながら、その意思の強さは他の追随を許さないオケなのだな・・・と。
道を極めた人の言葉は、珠玉の輝きがありますね。

ここで多くを語るよりも、まず自分で思ったことを実践してみよう。
そんなことを考えています。自分には大したことは出来ないとか思わずに、
自分自身で限界を決めずにやってみよう、と。

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言葉の向こう側


言葉を発するとき、いろいろと用心深くなっているような気がして、
ただそれは決してネガティヴなものではなく、
想いを正確に伝えたい、という気持ちが高まっているのだろうと思います。
そう思えるまでには、ずいぶんと遠回りをしてきた。

若いころは、とにかく何でもいいから自分の面白がったことを話したり
単純にウケ狙いだったことも多くありました。
また、ムダに人を怒らせたりイライラさせたり、という事も多かった気がする。
しかし、そういう経験があるから今があるのでしょう。

今、自分の周りにいる人たちは「偶然」いる人たちとも言えるけれど
同時に、居るべくして居る人たちとも言えると思います。
奇跡のように、今という瞬間を共に歩んでいる人たち。

良い音楽をするためには、音楽について深く考えるのは当然として
自分の周りにいる人たちが幸せになるためには、どうしたらよいのか。
「音楽は人なり」という、余りにもきびしい言葉に向き合っています。

久しぶりに、つれづれに。


最近、めっきりとブログの記事を書かなくなってしまいました。

それは決して、書きたいことが無いわけではないのですが

ネットであえて自らの言葉を語る必要があるのだろうか?と思っていたからです。

それは決して斜に構えているとかではなく(笑)

今のわたしは、沈黙することに意味がある、という感じでしょうか。


想いを言葉に変えていくときに、

必ず、言葉になれずにこぼれ落ちてしまう想いがあって

それにかまわずに言葉を出し続けていくと

言葉にできなかった想いが、どうしても自分の中にあふれてしまう。

言葉は、自分の想いとは少し違ったところで言葉になってしまっているから

自らの想いと、発した言葉とのギャップが埋められなくなる。

というのが、今のわたしのような気がしています。


言葉は自分の想いと関係なく、知らないところへ飛んで行くのではなく

言葉は想いと共にあってほしい。

そして願わくば、音楽もそれらと共にあってほしいと願います。

今のブログの沈黙の時間は、それを取り戻す時間なのかも。

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とはいえ、ずいぶんと長いあいだ沈黙してきました(苦笑)。

いろんな演奏会やコンクールもあったし

自分のやってる合唱団の演奏会もあったのに何も書かず、

いくらなんでもちょっとヒドイ(泣)。

そんなこんなで、ブロガーとしての自分を反省をしています。

少しだけ(笑)。

もう少し、地に足を付けた文章が書けると良いのですけどね。

少しずつ、そうなることを願いながら。

記憶に残る音楽


聴いた人の記憶に、長く残る音楽がしたいと思っています。


先日上京して、素晴らしい経験をされた方々とお話をした時に感じた事があり、
また東京で買った本を読んでいて、その方々の話と通じる事が書いてあって感心し、
またその新しい本に、しばらく昔に読んだ本と同じ事が書いてあって驚き。

著者も、書かれた時期も全く違う、その2冊の本に共通して書いてあったことは
「(要約)高度な技術と美音で過度な表現をした音楽は、聴いた人の記憶に残らない」
というものでした。バッサリ(笑)。
そしてさらに共通していたのは

「そのためには、ヴィルヘルム・ケンプを聴いて学ぶべきだ」

というものでした。もちろん他にも共通点はいろいろあるのですが
最後の結論は同じ。ちょっと驚いた。
そういえばヴィルヘルム・ケンプ、手持ちのCDが3枚ほどあります。
前に聴いた時は今一つ、良く判らなかったけど。。


帰京後に体調を崩してしまい(泣)、ようやく今日午後ぐらいに復活したのですが
ヴィルヘルム・ケンプを聴いておりました。
ベートーヴェンピアノソナタ30~32番。

聴きながら、前よりは少し思うところが出てきたかもしれない。
結局、構造を把握しているかどうか?が、音楽にもろに出てくるのだな、と。


良い示唆をいただいた事に、感謝。
今後もいろいろとお話を聞かせていただきたい、と感じた上京となりました。

全日本合唱コンクール全国大会雑感(その3)


早くも、来年度のコンクール課題曲が発表されましたね。
http://www.jcanet.or.jp/Public/meikyoku/meikyoku-index.htm
まだ日曜日に終わってから1週間経ってない、早い…f(^_^;

今年の課題曲、個人的な感想ですが選ばれたどの曲も素敵だったと思います。
特に、近年は課題曲公募作品がどれも素敵で、魅力的。
朝日作曲賞が単曲ではなく、合唱組曲としての募集になってから
作られる作品の傾向も、音楽と詩の深みを感じさせる作品が増えたように思います。

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今年の全国コンクール、芸術劇場は携帯電話の電波をブロックしているらしく
わたしが居た範囲では、電話が鳴ったりすることはありませんでした。
ただ逆に、プログラムをバサッ!と落とす音が何度も響き渡って・・・f(^_^;

東京都連の三好事務局長が、ステージ上からの諸注意の中で
「プログラムを落とさないように・・・落としたものをさらに拾いに行かないように・・・w」
と言っていたのが耳に残っていて、プログラムを落とす音が聞こえるたびに
(・∀・)ニヤニヤしてしまいました。

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今年の全国コンクールは、近年感じる傾向が一段と強くなってきて、それは
「全国選りすぐりの団体によるジョイントコンサートを聴いているような気分」
に感じるというところ。
昔のように、もう自分たちの団体の賞のことしか考えていない団体は無くなって
それぞれが自分たちの音楽を懸命に披露している連続演奏会。
どの団体もホントに素敵で、輝いていました。
良い時代になったものだ。。。

逆に、欲張りかもしれませんが25年前ぐらいのように
「合唱音楽の地平の彼方を見せる!」
と言った合唱の可能性の真価を問う選曲をしてくる団体は減ったと思います。
そう言う点で、VOCE ARMONICAは凄まじい選曲&演奏でした。

全団体がアルモニカみたいな感じになると、さすがに窒息死してしまいそうですがf(^_^;
音楽の広がりと可能性を十分に聴かせるコンクールだったと思います。


いやぁ、今年も楽しかった!!ヽ(^o^)丿