合唱で限界に挑む(コーラス・どーなっつ4all)


昨日、コーラス・どーなっつ4allは2泊3日の合宿+演奏会を無事終了しました。
会場にお越しくださったお客様、どーなっつ参加された大学生の皆さん、
ありがとうございました。
皆さまの心に残る合宿+演奏会となれば幸いです。

講師3人で選曲をする訳ですが、今回もすんなり決まることなく
何度となく話し合いを重ねました。
それは「どーなっつが、例年の繰り返しではなく発展していくため」の選曲を
狙い続けているからでもあります。

今回、比較的容易な作品の部類に入ったと思われる「水のいのち」の「海よ」も
確かに音はそれほど難しくないですが、語られる音楽の内容は想像を絶する深さがあります。
その内容は、とても今回のどーなっつの練習ででやり尽くせる訳がありません。
どーなっつ前は、楽譜を開くたびに曲のテーマの深淵さに圧倒されていました。
果たして、自分がこのテーマに立ち向かえるのだろうか?と。

山本先生、縄先生の選曲とて、
練習時間を考えるとどう考えてもあり得ないレベルの超難曲です。
しかしあえて、少ない練習時間の中でその選曲をしていったのは
合唱音楽を作る限界への挑戦でもあります。

講師3人、持てる力をふり絞って本気で立ち向かいました。
150人超の若者たちも、それに怯むことなく向き合ってきました。
限界への挑戦というのは、非常に苦しい時間が続くという事でもある。
しかし、挑戦したからこそ見えてくる特別な風景があるのだと、改めて思ったのでした。

今年も良い時間を過ごさせていただきました。
実行委員の皆さん、ありがとうございました。
特に、実行委員長の松田さんに感謝申し上げます。

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コーラス・どーなっつ4all が開催されます!


中四国の大学合唱団(+若い団体)が一か所に集い
2泊3日のリハーサルキャンプののちに本番を行う企画、
「コーラス・どーなっつ4all」が今年も行われます。

概要は以下の通り。

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コーラス・どーなっつ4all
 ~合唱を愛する中四国の若者たちによるジョイントコンサート~
2017年10月9日(月・祝)
 開場13:40 開演14:00
 入場 無料
広島市西区民文化センターホール(広島市西区横川新町6−1 JR横川駅南口より200m)

<参加団体>
香川大学合唱団(香川)
島根大学混声合唱団(島根)
就実大・就実短期大学グリークラブ(岡山)
徳島大学リーダークライス(徳島)
東広島ユースシンガーズひかり(広島)
広島大学合唱団(広島)
広島大学東雲混声合唱団パストラール(広島)
安田女子大学合唱研究会VividNova(広島)
山口大学混声合唱団(山口)
Chorsal《コールサル》(愛媛)
Dios Anthos Choir(高知)
合唱団そうなそ(山口)
合唱団ぽっきり(広島)

<プログラム>
1.各大学合唱団の単独演奏ステージ
2.指揮法講座受講の指揮者3人のステージ
3.合同演奏
 だれも知らない牛の話 (童話 白井明大 作曲 鶴見幸代)
  指揮 縄裕次郎  ピアノ 鈴木めぐみ

 混声合唱組曲「水のいのち」 より 「5.海よ」 (作詩 高野喜久雄 作曲 高田三郎)
  指揮 大村善博  ピアノ 鈴木めぐみ

 Agnus Dei (作曲 Samuel Barber)
  指揮 山本啓之

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4回目となるどーなっつの今年は、過去最大の150名超の若者たちが集う予定です!
そして合同演奏として今年も講師3人で3曲、演奏します。

「だれも知らない牛の話」という不思議な題名の曲を
広島合唱界の未来を担う縄裕次郎が指揮。

「水のいのち」より「海よ」という、日本の合唱史上最高の名曲中の名曲を
わたくしが指揮。がんばります。

そして、サミュエル・バーバーの代名詞とも言える名曲「Agnus Dei」
現在日本の合唱界でもっとも注目されている山本啓之が指揮します。

講師3人と大学合唱団を中心とした若者たちとのガチンコ勝負が間もなく始まります。
そして若者たちが作り出す、巨大な化学変化を期待しています!
どのような演奏会となるのか、こうご期待!!

コールクライネスが全国コンクールへ。


東京都合唱コンクールに参加してきました。
個人的にいろいろと反省点の多い本番だったのですが。
今回はそういう内容ではなく。

コールクライネスが、大学・ユース部門の代表団体になった!というお話です。
3年ぶりの全国コンクールへの出場となります。

レギュレーションが変わって大学ユース部門になった時から
出場団体枠が少なくなったのですが(東京は確か代表1団体)
クライネス以外にも早稲田コールフリューゲルや首都大学東京など
実力を十分に持つ団体が登場してきたことで
無類の強さを誇っていたクライネスにも苦難の時代が。

わたしが大学の頃に常連だった団体で全国の舞台に出てくるのは、
もう本当に数少なくなっています。

京都産業大学グリークラブ、大谷短期大学輪声会、同志社大学こまくさ、などなど。

この記事は、祝!古豪復活という意味と、もう1つ。。

審査発表を、わたしは2階席で聴いていたのですが
2階席の一番後ろに大量に座っていたのが、クライネスの面々でした。
支部代表団体を発表した時の、後ろから飛んできた爆発的な大歓声。

振り返ると。

泣きながら抱き合って喜ぶクライネスメンバーたち。
肩を叩いてお互いの喜びを確かめ合うメンバーたち。

心からの喜びを表現する彼らの姿はジーン…とするものがありました。
やはり、全国コンクールへ出場するということは、とても名誉なことなのですね。
3年ぶりの歓喜の涙を見ながら、わたしは会場を後にしたのでした。

コールクライネスの皆さま、おめでとうございます!
全国コンクールの舞台で、ぜひ素晴らしい演奏を聴かせてください。
楽しみにしています!

「どちりなきりしたん」の鈴


千原英喜作曲、「どちりなきりしたん」の4曲目には
鈴を使用する指定があります。
トライアングルが使われることが多いのでしょうかね?
どうなんだろ??

ずいぶん昔の事になりますが
2004年、四国合唱コンクールで印象深い出来事があり
コンクールにエントリーするからには、本気で取り組まなければならない、
と、わたしは強く思ったのでした。
徐々に、焦らずに進歩して…と思っていたのですが
コンクールに向けて本気で取り組んだ人だけが涙を流すのだ、と知ったからです。

その時のわたしは泣けなかった。


2005年、Chorsal《コールサル》で、どちりなきりしたんⅣ・Ⅴを
コンクール自由曲として取り上げました。
この時、トライアングルを使おうか?とも思ったのですが
何と言っても「本気」ですから(笑)
じゃあ!本物を使わなければ!と思い、
東京へ行き、キリスト教関連の品物を売っている店を何軒かはしごして
四谷の上智大学前にあるお店で、鈴を購入したのでした。
たしか4000円ぐらい?

その年のコンクールの結果は、本気で取り組んだ成果は出たのですが
四国代表となることは叶わず、でした。

わたしは言葉にならず、ただただ涙していました。


どちりなきりしたんⅣの鈴を見ると、わたしはいつもこの時の
本気で取り組んだ時のことを思い出します。
結果として、合唱団内でいろいろと軋轢を生んでしまったのですが(苦笑)
それも含めて、その時の事と「鈴」は今ではとても大切な思い出です。
その時があるから、今がある。

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先日、わたしの友人の福岡のS水さんという方から(笑)
「ぜんぱくさんは良い音の鈴をお持ちらしいですが、貸していただけませんか?」
というお伺いをいただき、うれしい気持ちでお貸ししました。
出身高校が、九州コンクールで「どちりなきりしたんⅣ」を歌われるとのこと。

確か今日が本番だったはず。
つまり現在、わたしの鈴は持ち主から遠く離れて沖縄にいます。
うらやましい(笑)。


きっと本気の高校生たちが、本気の歌をホールに響かせたはず。
そしてあの鈴は、沖縄の地で上手く鳴ってくれただろうか?


そんなことを考えている、尾道の夜です。

「石像の歌」(作曲 森田花央里)について


9月3日(日)、
高知県高知市で行われた四国合唱コンクールが終わりました。

Chorsal《コールサル》は、課題曲G3「子どもは…」(三善晃)
そして自由曲に「石像の歌」(森田花央里)を演奏させていただきました。
一般混声部門に出場、結果は銀賞で全国コンクール行きは叶わず。
四国支部代表になったのは、I.C.Choraleさんです。
ぜひとも東京で良い演奏を!

「石像の歌」は、3年前の合唱コンクール課題曲公募作品の作曲家である
森田花央里さんの作品で、1年半ほど前に東京のCANTUS ANIMAEが初演しました。
現在未出版の作品です。

ドイツの作家であるリルケの詩を、
森田さんが自分で翻訳して歌詞で作曲された、美しくもせつない作品です。

生きとし生けるもの誰もが、絶対の孤独の中に生きています。
その孤独なもの同士の中で、
一瞬でも魂が触れ合うような瞬間があったとしたら・・・。

「石像」は、ついに命を得て石から甦ったのだけど
その命が、自分を愛してくれた人の死を引き換えにしたものだとしたら。
そして、その愛してくれた人の心の中に、自分が生きていたのだとしたら。

わたしは泣くだろう。
わたしが命を得たところでなんになるだろう。
わたしを一番愛してくれた人を、海の中から呼び戻すことは出来ない。

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「石像の歌」は、とにかく美しい音楽なのですが
その美しさは孤高の美しさでもあります。
周囲を拒絶し、孤独でいることを受け入れているからこその美しさ。

しかし音楽の中にほんの少しだけ、石像が石から解き放たれて
命を得たと思われるモチーフがあり、そして哀しみと共に
また石像へ戻っていく姿が音楽となっています。

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Chorsal《コールサル》で演奏するにあたり
様々な試行錯誤の末、初演の演奏とはかなり違った感じとなっています。
しかしそれは「石像の歌」が、これからも命を得るためには良かった気がします。

全員でこの曲を見つめ続けることが出来た、素敵な時間でした。
そして、この曲に真正面からじっくり取り組めたこと、忘れません。

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ということで、合唱コンクールでの「石像の歌」は終わったのですが。

Chorsal《コールサル》では、2018年2月18日(日)に行われる7th.コンサートで
「石像の歌」を再演しよう!!という話が上がっています。

まだ本決まりではありませんが、たぶんそうなるんじゃないかなー?

決まったら、改めてご報告させていただきます。


ご冥福をお祈りいたします


わたしの東京時代の古巣、大久保混声合唱団メンバーで
長くベースで歌われていた、和田孝さんが亡くなられたとFacebookで知りました。
ご冥福をお祈りいたします。

和田さんが大久保混声に入ってきた時に、わたしは団長だったので
その時もいろいろな事がありましたが(笑)、入ってからもいろいろな事がありました(苦笑)。
個性的ではありますが、裏表のない気持ちの良いおじさんです。

わたしが大久保混声を離れてから、お会いするのは年に1回、
東京都合唱コンクールでの再会のみとなりました。
そういう関係が11年ほど続いた、ということになるのでしょうか。

ここ何年も、わたしは和田さんにお会いするのが楽しみで楽しみで
いろいろな事を共に乗り越えてきた古い仲間、という感じでした。
やはり苦楽を共にした仲間、というのは特別な感覚があります。
最近、以前のような覇気(笑)が無くなったなぁ、お歳をめされたからなぁ・・・
と思っていたのですが。

昨年の9月、東京都合唱コンクールでお会いしたのが最後となりました。

ただただ、さびしいです。

共に過ごした時間は、わたしの中で宝物です。
和田さん、ありがとうこざいました。



第56回広島県合唱コンクール


8月20日(日)、東広島市で行われた「広島県合唱コンクール」を聴きに行ってきました。
今年で3年連続観客として聴き、非常に勉強になりました。

この広島県合唱コンクールのすごいところは
全国コンクールレベルの団体がいくつも登場してくるところ。
そして悲しいかな、支部大会への推薦ピッチ数がかなり少ない事。
そう、広島は県コンクールの段階から超激戦なのです。

支部大会が厳しいのはいずこも同じだと思いますが
ここまで厳しい県コンクールは、西日本随一かもしれません。
どの団体も、自分たちの良さをグイグイと聴かせてきます。
人数の少ない団体もしっかり聴かせてきますし
大人数の団体は、ウワッと声が出そうになるぐらいスケールの大きさを聴かせてくる。

同時に、まだ仕上がっていない?と思われる箇所も少し見えたりして、
これをコンクールとしてどう評価するのだろう?と考えると
頭の中がゴッチャゴチャになるぐらい、さっぱり判らない。
結果はすでにHP等に出ていると思うので省略しますが
審査員の先生方がどこに視点を置くか?によって、結果は全く変わってきます。
その点では、まさに「あの日、あの瞬間の結果」だったのかもしれない。

いろいろと素敵な演奏が記憶に残っているのですが
個人的には、合唱団ぽっきりの「生きる」(三善晃)にグッときました。
うん、あれは好きです。

あと全日本理事長賞を、ゆーこりんが受賞していて面白かったです(笑)。

という事で、良い時間を過ごさせていただきました。
次は自分たちが頑張る番です。
お会いした皆さま、ありがとうございました!

合唱コンクールの季節。


合唱コンクールの季節、真っ只中ということで、
それに関して思っている事をつれづれに。


様々な立場でコンクールに関わるようになってきて思うのは
「コンクールとは器である」という事です。

その器に何を入れるか?は、演奏者自身が決める事であるから
どんなモノを入れるのもアリだと言えます。

単純な勝ち負けを重要視するのも、力試し的な参加も、
技術向上のための手段とするのも、甲子園的な浅春の1ページ的一体感を求めるのも
それはそれでありなのだと。

おそらくそのどれもが間違ってな。
しかし1つの要素に過度に拘ってしまうと
均衡を欠いてコンクールというものがいびつなものに変化してしまうとも感じます。

コンクールとは、勝ち負けが必ず付くのが大前提な本番なので
「勝ち上がったところが強い」という判断となりやすいですし
さらに踏み込めば、勝ち上がった団体が今のコンクール価値基準を作っているともいえます。
だから、偏向しやすいのがコンクールにおける合唱音楽とも言えます。
という事は、その判断を下す審査員の先生方は、
今後5年間ぐらいの価値基準を作っているのかもしれない。

ところが、勝ち上がらなかった団体の演奏が悪かったのか?と言えば
全くそんなことは無く(強く主張!)、むしろ代表になった団体よりもあっちの方が…
というケースもよく見かけます。
これだけ多様化した時代の価値基準を、1つ2つに絞るという事の方が
何かをゆがめているのかもしれません。

そうすると、感動したとか印象に残った、という音楽の根幹にかかわる要素と
コンクールの勝ち負けは完全にリンクしている訳ではない、ということ。
えっ、音楽って感動する音楽が良い音楽なんじゃないの?と思ったり。
じゃあ、何のためにコンクールに出ているのさ?と思わないでもない(苦笑)。

同時に、そんな時代だからこそ1つの価値基準を決める、という行為もあり得る。
うーん、いったい何なのさ?

…という風に、突き詰めて考え始めると、その実態を規定することは全く不可能。
本当に多くの要素が絡みついていてほどけません。
明快な答えの出ないものがコンクールというもの。
つまり、何だかよく判らない謎のイベント(笑)。

「何でも入れられる器である」というところが、合唱コンクールの面白いところかも。

わたしも当然、参加する時の価値基準を作っているつもりです。
ここで披露するような立派なものではないのですが
参加したすべての団体が勝ち上がるのは不可能なことなので
どの団体も、演奏後に参加すると決めた時の初心が貫けた!と
感じられることを心から願っています。


器に何を入れるのか?
そういう本番が、今週末も各地で繰り広げられます。

わたしの好きだった演奏(その2)


わたしの好きだった演奏、久しぶりに。

明日はCANTUS ANIMAE の演奏会という事で、エールを送る記事です。

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第40回全日本合唱コンクール全国大会
 1987年11月23日
  昭和女子大学人見記念講堂
 一般の部B 合唱団OMP
  恋のかくれんぼ (武満徹)
  交聲詩「海」 (三善晃)
   指揮 栗山文昭
   ピアノ 田中瑤子 浅井道子


今から30年前の全国コンクールでの演奏です。
この部門、全部聴いたはずですが、記憶に残っているのはOMPと豊中混声。
(ちなみに豊中混声は「芭蕉の俳句によるプロジェクション」を演奏)

まだ合唱初めて1年半ぐらいのわたし、何が何だか判らないままに行った東京で
強烈に記憶に刻み込まれたのが、OMPの交聲詩「海」の演奏でした。
昔は、今とはレギュレーションが違っていて、「海」も全曲演奏が可能だったのです。
(当時は「課題曲+自由曲=12分以内」という規定でした)

まず何に感動したかというと、課題曲の音取りに。
田中瑤子先生が、武満徹「恋のかくれんぼ」の音取りをした時に
その音でわたしはシビレて呆然としてしまった。

音取りなのに、そこに次に始まる(と思われる)音楽の息吹が聞こえる。。

果たして、胸の中から甘酸っぱい憧れが込み上げてくるような「恋のかくれんぼ」の演奏。
何と密度の濃い演奏なのだろう。。。

そして交聲詩「海」の演奏がはじまる。

2台ピアノのたゆとう音楽の流れから、壮大な音楽が流れだす。
初めて聴いた曲なのに音の中から、海が力強くしぶきを上げる様が見えてくるかのよう。
場面が変わり、音楽がダイナミックな躍動を始めて、巨大な荒波に客席が飲まれていく。
何ものにも媚びることなく厳然と存在する海、
しかしすべてのものを包み込むほどの大きな懐を持つ海。

海の持つ様々な景色と色が音楽の中から弾け出し
ただただ圧倒されながら。

そして終楽章。
巨大な破壊と苦しみの音が混じり合い、聴いていて苦しさを感じるほどに。
その苦しみの向こう側に、地球と命が高らかに叫び呼ばれ
最後の最後に、まさに海と化した客席をすべて包み込むかのような
ソプラノHiCの入った超シンプルで巨大ななCdur・・・。

その時の客席は、HiCの音が鳴っている時、つまり演奏が終わる前に
まさに海のごとく会場中から大拍手が湧き上がったのです。
圧倒的、これこそがまさに圧倒的。

信じられないような、まさに今目の前で起こった奇跡を聴くという音体験をしたわたしは
文字通り、茫然自失の状態でした。。

確か、7番目のOMPのすぐ後が休憩だったんじゃないかな??
客席がずっとザワザワとし続けていた記憶が何となくあります。
果たしてどうだったのか。。

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交聲詩「海」という名曲が生まれて、あれから30年経ちました。
明日、30年を経て「海」は歌声によってまた命を得ます。

音楽って不思議ですね、この曲は30年前の作品ですが
30年前も明日も、間違いなく「今この瞬間に生まれた音楽」なのですよね。

明日が素晴らしい演奏会となりますように願っています。

生きていてほしいんです


今日、小林麻央さんの訃報を知って、
すぐに思い出したのは、三善晃作曲「五つの願い」の3曲目、
「願い 一少女のプラカード」
という作品。谷川俊太郎さんの詩。

今日が、
太平洋戦争での沖縄戦の旧日本軍の組織的抵抗が終わった日、
というニュースを聞いた後に知った訃報だったからかもしれない。

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生きていてほしいんです

兵士は

生きていてほしいんです

兵士の靴が知らずに踏みつけた蟻も


生きていてほしいんです

青空の下で 穴の中でも

生きていてほしいんです

今日は


子どもたちはかくれんぼをしています

木の枝が風にゆれ

目をつむるとまぶたが日に透けて赤い


誰が誰の敵なのですか

私たちはみな不死ではないのに

生きていてほしいんです

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昨日夜、わたしはとりあえず元気でいろいろなことをしていました。
そのわたしの知らないところで、麻央さんは最後のいのちの炎を燃やし
このBlogを見ている皆さん、また見ていない皆さんもそれぞれの時間を過ごしていました。

これらは、同時並行で起こっていたこと。
笑いと哀しみと怒りと、そして多くの平穏な時間とは同時に存在する。
そのことに想いを馳せながら
今もわれわれは、今を生きています。